以下の資料から関連の記述を確認しました。
・『栃木県史 通史編1 原始 古代 1』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1981)
p.287-538「第四章 古墳時代」の項があります。
「第二節 遺跡と遺物」「四 墓制」「2 古墳」には「(1)前期の古墳」「(2)中期の古墳」「(3)後期・終末期の古墳」の項があり、各古墳について場所や解説があり、「付録」項の「5 古墳時代墳丘集成図」と「6 古墳時代横穴式石室集成図」では図が確認できます。
また、先土器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の「県内所在遺跡略図」の別紙付録がついています。
・『とちぎを掘る 栃木の考古学の到達点』(栃木県考古学会/編 随想舎 2016)
p.115-187「III とちぎの古墳時代」の項があります。
「Column 古墳の形」(p.130-131)には「…(略)…日本独特の墳形である前方後円墳は、江戸時代、宇都宮出身の儒学者の蒲生君平が名付けた。…(略)…」とあり、解説と「図1 栃木県域における前方後円墳の形態変遷模式図(スケールは20m)」の図が確認できます。
・『探訪とちぎの古墳』(塙静夫/著 随想舎 2000)
栃木県内の古墳について、写真や図とともに記述されています。
・『栃木の遺跡案内』(栃木県考古学会/編 日本窯業史研究所 1981)
p.69-118「古墳時代」の項があり、場所や調査年、遺物、当時の現況等確認できます。
・『古墳出現のなぞ 激動の世紀に迫る』(栃木県立博物館/編、発行 1991)
栃木県立博物館第34回企画展の図録です。
「I-5 移行期の北関東東部地方の遺跡」「II-5 北関東地方の古墳出現期の墳墓」の項も栃木県の遺跡が確認できます。
・『前方後円墳の名付け親 蒲生君平と宇都宮藩の山陵修補』(栃木県立しもつけ風土記の丘資料館/編 栃木県教育委員会 2005)
栃木県立しもつけ風土記の丘資料館秋季特別展 第19回の図録です。
前方後円墳の考古学的な定義や、「第三部 現在の前方後円墳研究」では、しもつけの古墳時代について記述があります。
・『前方後円墳の時代 しもつけにおけるその出現と展開』(栃木県立しもつけ風土記の丘資料館/編 栃木県教育委員会 1988)
栃木県立しもつけ風土記の丘資料館企画展 第2回の図録です。
表見返しの「栃木県の中期古墳分布」図から円墳と前方後円墳のおおよその場所と名称が確認できます。また、栃木県内だけではなく隣県の前方後円墳についての項も記述があります。