・『飛騨の神社』(飛騨神職会 1987年) … 「槻本神社」の項目(p.34-38)のうち、p.35-36に以下の記載がある。
-------〔以下、引用〕-------------
里説に、往昔境内に槻(つき)の巨木があり、自然崇拝の原始信仰時代に、神籬(ひもろぎ)として神をここに祀られたものと伝えられる。この大槻は、その陰数里に及んだとも言われ、社名もこの槻に起因している。近世の公簿には「月本」と書いているが、古来よりこの地の産土神(うぶすながみ)であった。
-----〔中略〕-----
『後風土記』は次のように書いている。
「この山口神社は、今の大八賀郷なる山口とまぎらはしければ、村内の小字を採て、「槻本神社」と称せしならむ。
この境内、往古はいと広かりけむを、数百年を経るに従い、愚民等古史の趣をも知らず、神威をも恐れず、境内を墾狭(ほりせば)めて、田畑を拓きて、己が所持とせしにや。今に其近辺の田畝の字を月元(つきもと)と云とぞ。〔後略〕」
-------〔引用終わり〕-------------
同様の記述が以下の資料にもある。
・『岐阜県神社名鑑』(岐阜県神社庁 2017年) … p.704に、上記引用の前半部分が、ほぼ同じ表現で記載されている。
・『丹生川村史 全』(大野郡丹生川村 1962年)… 槻本神社の項目(p.712-716)のうち、p.715-716に「大野郡祭神記」(大正六年)が引用されており、上記引用の前半部分と同様の内容(文語体)がある。
・『斐太後風土記 上(大日本地誌大系)』(富田礼彦著 大日本地誌大系刊行会 1915年)
… 上記引用部分にある『後風土記』にあたる資料。巻之三「大野郡小八賀郷 山口村」の箇所に同様の記載がある。
国立国会図書館デジタルコレクションでも公開されている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952768/69 2019年12月確認