レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年10月18日
- 登録日時
- 2013/10/18 15:27
- 更新日時
- 2013/10/18 15:32
- 管理番号
- 20131018-5
- 質問
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解決
李卓吾について知りたい。
- 回答
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李贄(りし) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%9D%8E%E8%B4%84/ (2013/10/18確認)
(1527―1602)
中国、明(みん)末の陽明学者。初名載贄(さいし)、号は卓吾(たくご)、別号温陵(おんりょう)。福建省泉州府晋江(しんこう)県の人。『焚書(ふんしょ)』『蔵書(ぞうしよ)』などの著書がある。彼は、なにものにもとらわれない純粋で原初的な心を童心とよび、そこに内面的権威を認めて、形骸(けいがい)化した既成の価値基準や道徳意識と対立させた。それを軸にあからさまな名教批判を行い、従来絶対的権威を有してきた経典や聖人にまで批判を加えた。また、この心は万人に平等に賦与されていると考えることから、性別や階層などを超えて平等が主張されることになる。心の真実の発露である限り、儒仏道三教の別や文学におけるジャンルも本質的なものとはみなされず、そこからは三教一致論や俗文学の顕彰などが導かれ、個性尊重や私肯定の態度、平等主義などが推し進められた。・・・
李贄 【りし】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E6%9D%8E%E8%B4%84 (2013/10/18確認)
世界大百科事典 第2版
りし【李贄 Lǐ Zhì】 1527‐1602
中国,明末の思想家。福建省泉州府晋江県の人。原名は載贄,号は卓吾,宏甫(宏父),温陵居士など多数。26歳のときに郷試に合格。家庭の事情のため上級試験を断念して,30歳で河南省輝県の教諭に任官する。のち54歳まで北京,南京の国士館博士・礼部司務・南京刑部員外郎,雲南姚安府知府などを歴任したが,この後は湖北省の黄安,麻城に客寓して読書著作の生活を送った。性狷介(けんかい),妥協を嫌う李贄は官僚生活を楽しまなかったが,その間に,求道の先達同学に邂逅(かいごう)して鼓舞され,学問に情熱を燃やして〈真に生きる〉ことに邁進した。
デジタル大辞泉
り‐し 【李贄】
[1527~1602]中国、明末の思想家・文学者。泉州晋江(福建省)の人。号、卓吾。官を辞して著述に専念した。世俗の権威を否定し、封建倫理を批判したため逮捕され、獄中で自殺。小説や戯曲の価値を認め、「水滸伝」なども高く評価した。著「焚書」「蔵書」など。
中国文化史大事典 / 尾崎雄二郎, 竺沙雅章, 戸川芳郎編集代表 東京 : 大修館書店 , 2013 ISBN:97844690128
p.1240 りたくご 【李卓吾】
中国学芸大事典 近藤春雄著 大修館書店 1978 ISBN:4469032018
p.805 りし 【李贄】
李贄年譜 / 容肇祖編 北京 : 生活・読書・新知三聯書店 , 1957
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中世思想.近代思想 (125 9版)
- 中国 (222 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 李贄 りし
- 李卓吾 りたくご
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000139160