レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年02月23日
- 登録日時
- 2019/02/23 17:17
- 更新日時
- 2019/02/25 09:40
- 管理番号
- 158
- 質問
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解決
昭和37年(1962)に尼崎市役所が北城内から東七松町に新築・移転する経過について知りたい。
- 回答
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昭和20年(1945)11月、尼崎市は廃校とした尼崎国民学校(北城内)の校舎を新市庁舎とし、南城内所在の大正11年(1922)竣工の木造庁舎から移転しました。その後、戦後復興期から高度経済成長期にかけて部局数・職員数とも増加したため、昭和30年代には庁舎が手狭となります。加えて、学校建物の転用のため、庁舎として不適当な部分もありました。
この当時、兵庫県知事に転じた阪本勝市長の後を受けて昭和29年12月に就任した薄井一哉市長のもと、尼崎市は昭和31年度から地方財政再建促進特別措置法の適用を受けて財政再建に取り組んでおり、新庁舎建設着手には財政面での困難がありました。しかしながら、昭和32年3月の市議会において市役所新築提案が行なわれ、翌昭和33年には職員が労働安全衛生の観点から公平委員会に部屋の拡張を求める要求書を提出するなどしたことから、同じ昭和33年に市議会に新庁舎建設特別委員会を設置し、検討を開始しました。
建設候補地となったのは橘公園周辺(東七松町)、記念公園・市民グランド(西長洲)、名神高速道路尼崎インターチェンジ建設予定地付近(尾浜)などで、調査・検討を行なった結果、昭和35年1月の新庁舎建設特別委員会において橘公園(約4.2ヘクタール)の西半分を用地とすることが決定されます。
位置選定にあたっては、1)人口重心に近いこと、2)都心に接すること、3)交通機関・道路との連絡が良いこと、4)地盤が良好であること、5)大気汚染の原因となる降下煤煙量が比較的少ない場所、という5点が基本方針とされました。戦後、市域北部の市街地化により、人口重心は市内立花地区の三反田に移動したと考えられており、候補地のなかでは東七松町と尾浜が近接していました。また、戦時建物疎開や戦災により、市域南部に位置する旧城下町(東本町・城内・西本町)がかつての賑わいを失う一方、市内の鉄道駅のなかでは立花駅の乗降客増加率が最も大きかったことなどが、同駅に近い東七松町の橘公園を選定する理由となりました。この当時、西側部分に水深6メートルの池があった橘公園は、都市計画法上の公園であったことから兵庫県との協議により都市計画を変更し、庁舎建設が認められました。
新庁舎建設費予算の総額は昭和34年度から昭和38年度にかけての4年間で10億5,000万円にのぼると見積もられ、うち4億円を起債してまかなうこととされました。昭和35年3月の市議会では、遅れている学校・防潮堤・下水道等の整備を優先すべきであるとする反対意見も出されましたが、市民サービスや市職員衛生管理の点からも延期はできないとする薄井市長の方針が承認されました。こうして新庁舎の建設が進められ、昭和37年10月8日の落成式を経て、10月15日に新庁舎が開庁しました。なお、この尼崎市役所新庁舎は、現代日本を代表する建築家のひとりである村野藤吾の設計作品です。
こういった、尼崎市役所の新築・移転経緯について、『尼崎市議会史』記述篇等の文献により調べることができます。
- 回答プロセス
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1 尼崎市役所の新築・移転経緯について記す文献
◆『尼崎市議会史』記述篇(尼崎市議会事務局,1971)第2部第1編第2章第1節「市庁舎建設」
◆川野弘「市庁舎の新築」(あまがさき紹介:シリーズ「尼崎のできごと」)『季刊TOMORROW』29号(財団法人あまがさき未来協会,1993)
著者の川野氏(昭和32年尼崎市役所入庁)は、市庁舎建設事務所に配属され庁舎建設に携わった。
2 尼崎市役所新築・移転当時の市の公共施設整備等の施策について記す文献
◆『図説尼崎の歴史』下巻(尼崎市,2007)/Web版図説尼崎の歴史
現代編第4節3「市政の展開、都市基盤の整備」(執筆者:山崎隆三(やまざきりゅうぞう)/地域研究史料館)
- 事前調査事項
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なし
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 衛生工学.都市工学 (518 9版)
- 建設工学.土木工学 (510 9版)
- 参考資料
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尼崎市議会. 尼崎市議会史 記述編. 尼崎市議会事務局, 1971.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002579436-00 (当館請求記号 318.6/A/ア-1) - 季刊TOMORROW.29号,財団法人あまがさき未来協会,1993 (逐次刊行物)
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尼崎市立地域研究史料館/編集 , 尼崎市立地域研究史料館. 図説尼崎の歴史 : 尼崎市制九〇周年記念 下巻. 尼崎市, 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005908615-00 (当館請求記号 219/A/ア)
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尼崎市議会. 尼崎市議会史 記述編. 尼崎市議会事務局, 1971.
- キーワード
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- 尼崎市
- 市役所
- 公共建築
- 都市計画
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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Web版図説尼崎の歴史
現代編第4節3「市政の展開、都市基盤の整備」(執筆者:山崎隆三(やまざきりゅうぞう)/地域研究史料館)
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/05gendai/gendai2-3.html
村野藤吾の設計については、以下もご覧ください。「低層棟・高層棟・議会棟からなり、低層棟の周囲に水濠をめぐらす現尼崎市庁舎の建築デザインは、どういった考え方やアイデアにもとづいて設計されたものなのか調べたい。近代初頭まで存在していた尼崎城をイメージしているという話を聞いたことがあるが、本当なのかどうか確かめたい。」(レファレンス協同データベース、最終更新日:2016年3月23日) https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000189591
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000252077