レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1999年01月28日
- 登録日時
- 2007/03/23 14:55
- 更新日時
- 2008/01/07 11:59
- 管理番号
- 東邦大医-305
- 質問
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解決
1.横浜の修文館という施設は現存するか
2.シーボルトが内科的な診察において東洋医学を重視し、
外科においては西洋医学を重視したということを聞いたが、
これを確認したいので資料を紹介して欲しい
質問者の目的:日本において病院ができるまでの過程について調べている
- 回答
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【回答1】
修文館が病院機能を果たしていたのは、慶応4(1998)年閏4月18日から10月21日(明治元年)と言われている。
修文館は幕府の漢文研修所であったが、戊辰戦争の傷病兵を収容するための軍陣病院としてその建物が使われ、
英国人医師(W.Willis)らがここで治療にあたった。東京に大病院(後の東大病院)ができたのを機に患者をそちらへ
移送し、軍陣病院としての役目を終えた。
(1)「横浜と医学の歴史」(シリーズ一般教育のひろば no.12) 三杉和章他編
横浜市立大学一般教育委員会発行 1997 1500円
*p.42に写真が載っています
*学生用の教科書なので市販されていないかもしれません。
下記に問い合わせてみてはいかがでしょうか。
横浜市立大学教養部事務室 236横浜市金沢区瀬戸22-2 045-787-2055
(2)「横浜軍陣病院」の歴史地理学的再検討 中西淳朗著
神奈川医学会雑誌 vol.22 no.1, p9-16, 1995, Jan
*著者は横浜在住の開業医で医学史の研究者です。
維新前後の横浜の医学に関するたくさんの論文があります。
*神奈川医学会雑誌の発行所は下記です。
神奈川県医師会 231横浜市中区富士見町3-1 045-241-7000
(3)「草創のとき;横浜市立大学医学部創立記」倶進会発行 1984
*底本としている資料の関係で誤りが指摘されている資料ですが。
【回答2】
シーボルト研究者のなかでも特に医療関連の論文を発表している医師とその著作を数点紹介した。
医学中央雑誌による論文検索を紹介した。
(1)「蘭学の背景」 石田純郎編著
思文閣出版 1988 1545円 ISBN:4-7842-0512-8 341p. 22cm
*第2章:シーボルトの医学的背景
*参考文献多数
(2)「江戸のオランダ医」 石田純郎著
三省堂 1988 1545円 ISBN 4-385-43146-9 232p. 19cm
*簡単に読めます
- 回答プロセス
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【回答者の感想】
もっと頻繁にmailで質問してから回答すればよかったかと思いましたが、一応ご満足いただけたようです。
シーボルトと東洋医学については、紹介した資料では確認できないかもしれません。
1988年11月に慶應義塾大学出版会から発行された「日本における西洋医学の先駆者たち」(J.Z. Bowers著
金久・鹿島訳)には”漢方医学は彼が日本で失望した唯一のものであった”(p.99)という記述がありました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 医学 (490 7版)
- 関東地方 (213 7版)
- 参考資料
- キーワード
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- 修文館
- 軍陣病院
- シーボルト
- 東洋医学
- レファレンスインタビュー
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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※このレファレンス事例は、『医学図書館』誌に掲載されたものを再掲しました(日本医学図書館協会の許諾済み)。
押田いく子.レファレンス事例集 "Case-7 横浜の修文館,シーボルトと東洋医学について知りたい(歴史的事実)". 医学図書館 47(2);176-7,2000.
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000034068