レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年02月26日
- 登録日時
- 2017/02/26 15:50
- 更新日時
- 2017/02/28 16:28
- 管理番号
- いわき総合-地域484
- 質問
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未解決
いわき市勿来町窪田大槻に北茨城市関本町関本上字背踏1600-53と住所表記がある飛地らしき場所があります。
Google map では、五浦庭園カントリークラブ(窪田大槻)に南にある(有)助川工業の所在地となっている場所です。同所が勿来町ではなく関本町である理由、経緯について知りたく、これについて資料や文献等があれば紹介してほしい。
- 回答
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・「ゼンリン住宅地図」で土地の推移を確認しましたが、該当の地に(有)助川工業が登場するのは、2013年版以降です。
・Google 検索「飛地」で、ヒットしたサイトによると、茨城県の飛地ということで該当の地名(住所)が掲載されています。
・歴史的な経緯について
『いわき市勿来地区地域史Ⅰ』によると、このあたりの県境については、江戸時代宝永年間(1704-10)に常陸国に属する関本上野、関本福田、関本八反の3か村(現北茨城市関本町)と窪田村(現勿来町窪田)との山論をめぐるものであったが、同時に村境、国境の争いでもあった。…裁定の結果は、宝永7年「裁許状」で、示され、窪田村の主張が認められた。決め手となったのが過去における検地帳(貞享5年)の存在であった。と記述されています。
『北茨城市史 上』P843にも、宝永7年(1710)陸奥国菊多郡窪田村との間で、関本上村二か村と境界争論が起こったと記述があります。
『日本大百科全書』の「茨城県」の記述に、「明治維新の廃藩置県(1871年)で各藩および天領は15県となり、のちに茨城、新治(にいはり)、印旛(いんば)、木更津(きさらづ)の4県となったが、1875年統合して現在の茨城県が成立した。」とあり、この時の県域は現在とほぼ一致していると『北茨城市史』に記されています。
・国土地理院作成の地図「いわき市」「北茨城市」上では、この地は、福島県側に位置しています。
該当の土地に、工場を建設する際に、茨城県と福島県の間で何らかの協議が行われたのかどうか、確認できる資料が当館にはございません。
地図上でも、市史でも、この場所が茨城県域であることが確認できませんでした。
- 回答プロセス
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『大辞林 第三版』で、「飛地」の解説を確認。
とびち【飛び地・飛地】
① 他の区域内に離れて存在するが、行政上は主地域に属する土地。
② 江戸時代、城付きの領地に対し遠隔地に分散している知行地。飛び知。
③ 江戸時代、親村と地続きでなく他村内にある土地。
質問の内容を確認するために、「ゼンリン住宅地図」で、該当の住所があるページを出版年の古い順にあたり、掲載されているのは2013年版以降であることを確認。
歴史的経緯を確認するために、『北茨城市史』、『いわき市勿来地区地域史Ⅰ』を参照した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 東北地方 (212)
- 参考資料
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北茨城市史編さん委員会 編 , 北茨城市. 北茨城市史 上巻. 北茨城市, 1988.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001933836-00 -
いわき市勿来地区地域史編さん委員会 編. いわき市勿来地区地域史 : 先人と未来人の絆を紡ぐ歴史を今に 1 (自然環境/原始-古代-中世-近世/民話). いわき市勿来地区地域史編さん委員会, 2012.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023527030-00 - いわき市 勿来・植田・錦・遠野・田人版 201307. ゼンリン,2013. (ゼンリン住宅地図. 福島県) , ISBN 978-4-432-36351-3
- いわき市 勿来・植田・錦・遠野・田人版 201207. ゼンリン,2012. (ゼンリン住宅地図. 福島県) , ISBN 978-4-432-34528-1
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北茨城市史編さん委員会 編 , 北茨城市. 北茨城市史 上巻. 北茨城市, 1988.
- キーワード
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- 茨城県北茨城市関本町
- 有限会社助川工業
- 飛び地
- 福島県いわき市勿来町窪田
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000210626