レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年12月09日
- 登録日時
- 2015/12/11 10:24
- 更新日時
- 2016/01/06 14:04
- 管理番号
- いわき総合-地域380
- 質問
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解決
いわき市平一町目公園裏に「鷹崎千代女史」とかかれた胸像があるが、この方は、どのような方だったのか、どのような功績を残したのか、知りたい。
- 回答
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鷹崎千代さんは、石城産科婦学校の設立者で校長を務めていた方です。生没年は不明です。
新聞「いはき」の明治40年6月25日付第五面の教育界で「石城産科婦学校」が紹介され、「設立者は、鷹﨑千代子にして、同校主は永く地方産婆を啓発来たりし為め地方有志の尽力と年額350円の郡補助によりて都合なるが…」と記されています。同新聞第十八面に、私立石城産科婦学校の生徒募集の広告が掲載されており、開講6月1日よりと記されています。
また、新聞「新いわき」の昭和5年3月28日付第2面には、産婆看護婦募集広告が掲載されており、校長として鷹崎千代の名前があります。学校名は「石城産科婦看護婦学校」に変わっています。
『福島県教育史 第1巻』に、福島県学事年報(明治32年-大正5年)を資料とした私立学校の一覧中に「私立磐城産科婦学校(平)、創立年:明治40年、継続年数:10」がありました。10年継続したとすると、大正6年まで存続したと考えられます。校名が変更になった後、いつまで存続したかは明らかになっていません。
胸像が建てられた場所は、以前、私立の「鷹﨑保育園」がありました。石城産科婦看護婦学校が閉校後、昭和22年に開園したようです。
- 回答プロセス
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『いわき市史 第6巻』P362「いわきの私学」に、石城産科婦看護婦学校の設立者として鷹崎千代の名が記されていた。
学校の設立年から、新聞記事にあたった。
いわき市立図書館ホームページのトップページの郷土資料のページ⇒「新聞」⇒「いはき」⇒「明治40年」⇒「6月」⇒6月25日付第5面の「教育界」に「石城産科婦学校」が紹介されていたことがわかった。
「新聞」⇒「新いわき」⇒「昭和五年」⇒「3月28日」第2面に、同校の産婆看護婦募集の広告を見つけ、校長として鷹崎千代の名前が記されているのを確認した。
鷹﨑保育園に関しては、『福島県社会福祉史』のP595に「鷹埼保育園 私立 定員50 昭和22年4月8日設立」と記されている。
また、『いわき市の福祉 平成3年11月』に、鷹埼保育園は記されているが、同書平成4年版には記載されていないので、この間に閉園されたと思われる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 教育史.事情 (372)
- 社会福祉 (369)
- 参考資料
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いわき市史編さん委員会/編 , いわき市. いわき市史 第6巻. いわき市, 1978.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I021388878-00 (第三章 第一節p362 いわきの私学) - 「いはき」明治40年6月25日発行 第5面 ホームページ掲載デジタル版
- 「新いわき」昭和5年3月28日発行 第2面 ホームページ掲載デジタル版
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いわき市史編さん委員会/編 , いわき市. いわき市史 第6巻. いわき市, 1978.
- キーワード
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- 鷹﨑千代 たかさきちよ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人 社会人
- 登録番号
- 1000185470