レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年09月10日
- 登録日時
- 2008/09/10 09:01
- 更新日時
- 2008/09/10 15:56
- 管理番号
- 富山市-2008-01
- 質問
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解決
越中瀬戸焼の作陶家 青原秀吉 (長八)、吉野香岳について知りたい。
- 回答
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『富山大百科事典』には、【越中(えっちゅう)瀬戸焼(せとやき)】の項目があり、約680字にわたり今日までの歴史について詳しい解説がある。16世紀末ごろから富山県立山町上末(うわずえ)・瀬戸地方に興り、以来400年余り続き、県内最長の歴史を誇る。明治維新後衰微したが、間もなく復興気運が起こり、1940年(昭和15年)に江戸初期以来の儀右衛門窯の復興窯として長八(ちょうはち)窯(福岡窯)が築かれたと書かれている。青原秀吉 (長八)及び吉野香岳についての記述はない。参考文献として『越中の焼きもの』が紹介されている。
『富山県郷土人物索引 第4集』には、【青原長八(秀吉)】及び【吉野香岳】の双方を収録し、『越中の焼きもの』の中にそれぞれについて記述があることが記載されている。この文献は、郷土出身者及び郷土に影響を与えた人物の索引であり、1984年~92年までの富山県立図書館所蔵の単行本、雑誌等から当該の人物が記載された箇所を記載している。
『越中の焼きもの』では、【青原秀吉 (長八)】について次のように記している。昭和9年、福岡作光(さくみつ)らが瀬戸焼研究所を設立した。指導者として松島小太郎を招き、青原秀吉(長八)は製陶技術を学んだ。その翌年、秀吉は福岡作光の瓦工場の一角で本格的に作陶を行う。昭和15年には上末(うわずえ)に長八(ちょうはち)窯を築いて独立した。長八窯は、17世紀の初め頃から1820年代まで続いた越中瀬戸焼の名窯である。
また、【吉野香岳】については、大正年間、京都陶磁器伝習所で陶法を学び、京都・九谷・瀬戸などの窯元で修業。昭和4年3月、越中瀬戸焼の復興に参画、越中瀬戸焼庄(しょう)楽(らく)窯の主工を務めたが、同35年春、越中瀬戸焼保存顕彰会の結成を機会に独立して千寿窯を開いたと書かれている
- 回答プロセス
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①郷土総合百科事典の役割をもつ『富山大百科事典』で調査をする。
②当該の人物を『富山県郷土人物索引 第4集』で調査をする。(当該の人物を収録している)
③当該の人物について『越中の焼きもの』に解説が記載されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 陶磁工芸 (751 8版)
- 参考資料
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- ①『富山大百科事典 上巻』 北日本新聞社/発行 1994年
- ②『富山県郷土人物索引 第4集』 富山県立図書館/編集・発行 1993年
- ③『越中の焼きもの』 定塚武敏/著 巧玄出版/発行 1977年
- キーワード
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- 越中瀬戸焼
- 青原長八(秀吉)
- 吉野香岳
- 陶磁器
- 富山
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000047224