レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年06月09日
- 登録日時
- 2020/06/09 18:33
- 更新日時
- 2020/09/16 17:44
- 管理番号
- 郡山中央0011
- 質問
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郡山市の赤木にあった遊郭について
- 回答
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【資料1】より、宿場町であった郡山には江戸時代には多くの飯盛女がいた。明治5年に娼妓廃止となったが、翌年貸座敷規則により復活した。明治30年からは遊郭の移転問題がおこり、明治34年に赤木にまとまって移転し、町名を「相生町」と命名したとあり。
【資料2】には「赤木遊郭」の写真があり。
【資料3】には旧赤木遊郭の門柱についての記載があり。明治34年の相生町の刻記がある旧遊郭の門柱とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】「郡山市史 第4巻(近代上)」(p562)郡山市/発行 1969年
- 【資料2】「写真集 明治大正昭和 郡山」(p114)田中正能/編著 国書刊行会 1980年
- 【資料3】「身近な郡山の建築遺産50」 身近な建築遺産(郡山編)調査事業委員会/製作 2006年
- キーワード
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- 赤木遊郭
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000282932