レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/02/02
- 登録日時
- 2021/09/13 00:30
- 更新日時
- 2021/09/13 00:30
- 管理番号
- 牛久-1743
- 質問
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解決
京都にある「間人(たいざ)」という地名の語源が、聖徳太子の母親である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が、なんらかの乱の際に避難していたことから付いたという話を聞いた。
間人と穴穂部間人皇女の繋がりが記載されている資料はないか。また、何の乱で避難していたのかが知りたい。
- 回答
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○「間人」の地名の由来は、穴穂部間人皇女が物部氏と蘇我氏の抗争の難を避けて大浜の里に滞在し、乱が収まって退座されたことによる。次の資料を紹介。
・『角川日本地名大辞典 26-[1]』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編/角川書店/1982.7)…p859
・『天皇皇族歴史伝説大事典』(志村有弘編/勉誠出版/2008.12)…p129
・『京都地名語源辞典』(吉田金彦[ほか]編/東京堂出版/2013.10)…p335-336
○穴穂部間人皇女が物部氏と蘇我氏の抗争の難を避けて避難していた内戦の名称は、「丁未の変」「丁未の乱」「物部戦争」「物部の乱」「蘇我・物部の戦い」「物部氏と蘇我氏の抗争」「蘇我・物部の争乱」等複数あり。次の資料を紹介。
・『合戦騒動事典』(歴史と文学の会共編/勉誠出版/2005.11)…p258-260、p466-468
・『読める年表・日本史』(川崎庸之[ほか]総監修/自由国民社/2003.6)…p68-69
・『内戦の日本古代史』(倉本一宏/講談社/2018.12)…p74-87
- 回答プロセス
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1. 請求記号「2--」の参考資料の棚をブラウジングし、間人と穴穂部間人皇女の繋がりが記載されている資料を探す。
(1)『角川日本地名大辞典 26-[1]』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編/角川書店/1982.7)
…p859「間人」の項の地名の由来に「聖徳太子の母親である穴穂部間人皇女が物部の乱を避けて大浜の里に滞在、乱が収まって退座されたことによる」と記載あり。
(2)『天皇皇族歴史伝説大事典』(志村有弘編/勉誠出版/2008.12)
…p129「穴穂部間人皇女」の項に、丹後半島にある「間人」の地名の由来について、「物部氏と蘇我氏の抗争の難を避けて逃れ住んでいたが、やがて退座し帰京したのに因んで」という記載あり。
(3)『京都地名語源辞典』(吉田金彦[ほか]編/東京堂出版/2013.10)
…p335-336「間人(京丹後市丹後町)」の項に、「穴穂部間人皇女が、蘇我・物部の争乱を避けて『大浜の里』に滞在され、乱が治まってのち退座されたことによる」と記載あり。
→穴穂部間人皇女と間人の繋がりについて、(1)~(3)を紹介し複写を取る。
→(1)~(3)の資料より、乱の名称は「物部の乱」「物部氏と蘇我氏の抗争」「蘇我・物部の争乱」と判明。
2. 乱の名称が複数あるため、再度「2--」の参考資料の棚をブラウジング。
(4)『合戦騒動事典』(歴史と文学の会共編/勉誠出版/2005.11)
…p258-260、p466-468「蘇我、物部の戦い」の項に「587年に用明天皇が薨去されると、次の皇位をめぐって争いが起こった」と記載あり。
(5)『読める年表・日本史』(川崎庸之[ほか]総監修/自由国民社/2003.6)
…p68-69「物部氏の滅亡-丁未(ていび)の変」の項に、「蘇我馬子が物部守屋を滅ぼした(紀・587)」と記載あり。
→(4)(5)の資料より、乱の名称は「蘇我、物部の戦い」「丁未の変」と判明。
次の資料には戦乱名なし。
(6)『日本古代史事典』(阿部猛編/朝倉書店/2005.9)
…p131-132「物部守谷」の項に蘇我氏との対立の記載はあるが、戦乱名はなし。
(7)『日本歴史大事典 3』(小学館/2001.3)
…p926「物部守谷」の項に、「この戦い」とあるが、戦乱名はなし。
(8)『国史大辞典 13』(国史大辞典編集委員会編集/吉川弘文館/1992.4)
…p848「物部守谷」の項に「事件」とはあるが、戦乱名はなし。
3. Google検索で「物部の乱」というキーワードで検索した所、wikipediaの「丁未の乱」のページがヒット。
(9)「丁未の乱」ウィキペディア(Wikipedia)
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E6%9C%AA%E3%81%AE%E4%B9%B1)
…「丁未の乱(ていびのらん)は、飛鳥時代に起きた内乱である。丁未の変、丁未の役、物部守屋の変ともいう」と記載あり。
→乱の名称は、「丁未の乱」「丁未の変」「丁未の役」「物部守屋の変」と判明。
※最終アクセス日2021年2月1日
4. 請求記号「210.3」の棚をブラウジング。
(10)『内戦の日本古代史』(倉本一宏/講談社/2018.12)
…p74-87の「丁未の乱(物部戦争)」の項のp81に「蘇我馬子は(中略)物部守屋を討滅した。いわゆる丁未の乱(物部戦争)である」と記載あり。
→乱の名称は「丁未の乱(物部戦争)」と判明。
→以上より、穴穂部間人皇女が物部氏と蘇我氏の抗争の難を避けて避難していた争いで、次期天皇の擁立を巡って対立した蘇我氏と物部氏の内戦の名称は「丁未の変」「丁未の乱」「物部戦争」「物部の乱」「蘇我・物部の戦い」「物部氏と蘇我氏の抗争」「蘇我・物部の争乱」等、複数あることが判明。(4)(5)(10)の資料を紹介。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 日本 (291 10版)
- 参考資料
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- B10580500 角川日本地名大辞典 26-[1] 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1982.7 291.033
- B10676424 天皇皇族歴史伝説大事典 志村有弘/編 勉誠出版 2008.12 288.41 978-4-585-06063-5
- B10799382 内戦の日本古代史 倉本一宏/著 講談社 2018.12 210.3 978-4-06-514189-2
- B10648006 京都地名語源辞典 吉田金彦[ほか]/編 東京堂出版 2013.10 291.62 978-4-490-10841-5
- 112251798 合戦騒動事典 歴史と文学の会/共編 勉誠出版 2005.11 210.033 9784585060468
- B10394451 読める年表・日本史 川崎庸之/[ほか]総監修 自由国民社 2003.6 210.032 9784426691080
- 丁未の乱 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E6%9C%AA%E3%81%AE%E4%B9%B1 2021年2月1日
- キーワード
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- 穴穂部間人皇女
- 間人
- 蘇我
- 物部
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304614