レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年06月21日
- 登録日時
- 2020/04/23 12:07
- 更新日時
- 2020/04/23 12:53
- 管理番号
- 会津ー13
- 質問
-
未解決
文久2年(1986)幕府派遣によって、千歳丸に乗船し長崎から上海へ渡航した人物の中に会津藩士の林三郎惟純がいた。林三郎惟純に関する資料があれば教えてほしい。
- 回答
-
林三郎惟純について、経歴などがわかる資料はない。『幕末会津藩往復文書上・下』に名前が掲載されている記述があるが経歴についての手掛かりとはならない。念のため名前をインターネットで検索した。それによると林三郎惟純の父は林源太、兄は林源輔(殉難者名簿に名前有)。林三郎は昌平坂学問所の付属である一般庶民向けの塾だった麹渓塾(キツケイジュク)の塾頭を務めていたとある。麹渓塾は林三郎惟純の養父である松平慎斎が麹町教授所を再開した学校で、秋月悌次郎、林三郎惟純が受継いだ。松平慎斎の墓は東京谷中の仏心寺にあり、同じ墓地に林三郎とその長男の墓石もある。林三郎惟純はのちに勝海舟に仕え、駿府藩士としても名が残っている。以上のような情報を得たが、これらインターネットからの情報を実証する資料を探すことはできなかったため、参考までとする。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
-
幕末会津藩往復文書 上巻. 2000. (会津若松市史・史料編)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I081383246-00 (p325) -
幕末会津藩往復文書 下巻. 2000. (会津若松市史・史料編)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I081383247-00 (p261,277,379) - 加藤 隆士. 幕末維新会津藩士名鑑. 加藤隆士, 2017.2. (p415)
- 文久年間 近習・外様・分限帳 人名索引. (該当者なし)
- 慶応年間 会津藩士人名録 索引簿. (該当者なし)
-
幕末会津藩往復文書 上巻. 2000. (会津若松市史・史料編)
- キーワード
-
- 林三郎惟純
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000280950