レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年10月02日
- 登録日時
- 2008/12/02 10:13
- 更新日時
- 2011/11/24 12:36
- 管理番号
- 相市-H20-015
- 質問
-
解決
昭和20年当時、相模原市内にあった“臨時東京第三陸軍病院(現・国立相模原病院)”について、設立やその経過、最大収容人員等を知りたい。当時の同病院についての資料ならばどんな些細なものでもよい。
- 回答
-
◆「父への感謝状」(広石勝彦/著、2005)〔K1-28〕に当時の臨時東京第三陸軍病院での思い出が全編にわたり記載あり。P32に設立された時の記載あり。
◆「ふるさと 相模台地域の移り変わり」(小山徳孝/著、2000)〔K1-21〕P33,34に臨時東京第三陸軍病院の項目あり。その中に当時の病院の写真あり。P64にも簡単な記載あり。
◆「相模原市史第七巻」(相模原市、1988)〔K1-21〕P112に年表あり。
◆「相模原市史第四巻」(相模原市、1971)〔K1-21〕P573~578に詳細な記載あり。昭和18年当時の建物配置図あり。収容患者数は当初の計画では4500名の予定であったが6000名を突破したこともあったと記載あり。当時の病院面積や設立に関すること、職員数、看護婦数など当時の病院の様子が分かる記述多数あり。
◆「写真と地図で読む!知られざる軍都 多摩・武蔵野」(洋泉社、2005)〔K1-29〕P72,73に数行の記述と関連写真あり。
◆「相模原商工発展史」(相模原商工会議所、1976)〔K1-67〕P36に市史とほぼ同じ内容の記載あり。
◆「地域歴史素材集」(相模原市教育研究所、1990)〔K1-20〕P111に病棟数、収容患者数あり。
◆「相模原軍都計画と地域変化」(相模原市教育委員会、1992)〔K1-51〕P60に相模原新都建設に対する希望項目あり。
◆「従軍看護婦の見た病院船・ヒロシマ」(守屋ミサ/著、農山漁村文化協会、1998)〔K1-28〕P171~P175に当時の病院の様子が分かる詳細な記載あり。
※〔 〕内当館請求記号。
- 回答プロセス
-
対応した職員が以前寄贈された「父への感謝状」〔K1-28〕に病院のことが書かれていたことを思い出し、その本の中身を確認。文中や巻末に参考にした図書の記載があったので、それらが自館にあるか相模原市のOPACで検索。
検索の結果、「ふるさと 相模台地域の移り変わり」〔K1-21〕P33,34に「臨時東京第三陸軍病院」の項目があることと、「相模原市史第七巻」(相模原市、1988)〔K1-21〕P112に年表があることが分かった。また「相模原市史第七巻」P323の索引から市史の四巻に臨時東京第三陸軍病院の記載があることが分かった。 「相模原市史第四巻」(相模原市、1971)〔K1-21〕P573~578に記載あり。
また、自館のOPACで「リクグンビョウイン」のキーワードで検索したところ、いくつかヒットした。その中で、関係のありそうな資料をあたる。
・「写真と地図で読む!知られざる軍都 多摩・武蔵野」〔K1-29〕P72,73に数行の記述と関連写真あり。
・「相模原商工発展史」(相模原商工会議所、1976)〔K1-67〕P36市史とほぼ同じ内容の記載あり。
・「地域歴史素材集」(相模原市教育研究所、1990)〔K1-20〕P111に簡単な記載あり。
・「相模原軍都計画と地域変化」〔K1-51〕P60に相模原新都建設に対する希望項目あり。
・「従軍看護婦の見た病院船・ヒロシマ」(守屋ミサ/著、農山漁村文化協会、1998)〔K1-28〕P171~175に著者が実際に看護婦として働いた当時の病 院の様子が分かる記載あり。
※〔 〕内当館請求記号。
参考までに自館では所蔵していないが、市内の図書館で館内閲覧できる「臨時東京第三陸軍病院」(吉植精逸/著、金谷写真館、1939)という病院の写真集のようなものを紹介した。
コメントでも教えていただいた、国会図書館で所蔵している「創立60周年のあゆみ」(60周年のあゆみ編集委員会/編、独立行政法人国立病院機構相模原病院、2006)は、病院側から寄贈してもらったが残念ながら当時の臨時東京第三陸軍病院についての記載はなかった。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213)
- 参考資料
-
- 「父への感謝状」(広石勝彦/著、2005)
- 相模原市OPAC
- キーワード
-
- 臨時東京第三陸軍病院
- 陸軍病院
- 国立相模原病院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000049420