レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20201206
- 登録日時
- 2021/02/17 00:30
- 更新日時
- 2021/02/17 00:30
- 管理番号
- 0400002009
- 質問
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解決
大正7年に遭難した「千歳丸」の船主の「鈴木佐平」という人物について調べてほしい。子孫はいるのか,新潟のどのあたりに住んでいたのか知りたい。
- 回答
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北洋漁業家としての鈴木佐平は二代にわたっており,江戸時代の屋号は間瀬屋である。千歳丸がカムチャツカからの帰路で遭難したのは1918(大正7)年で,このときは九代鈴木佐平が漁場に赴いていたとされている。
(1)はホームページの情報を伝え,(3)は資料を確認。利用者には,(2)の資料を提供した。
(1)Google(インターネット検索サイト)で 「鈴木佐平」「千歳丸」「事故」で検索
「新潟と北洋漁業」というページがあり,「鈴木家」について記載あり。
元々は「間瀬屋」という廻船問屋だったが,現在は(株)新潟ビルサービスとある。
http://sevetheearth.chillout.jp/jizoh/niigata_hokuyo/voyage.html (インターネット情報は2020年1月29日確認)
新潟ビルサービスのホームページにも間瀬屋について記載あり。
http://www.niigata-bs.co.jp/01-4mazeya.html (インターネット情報は2021年1月29日確認)
(2)図書館情報システムにて「北洋漁業」で検索したところ2冊に記載あり。
・『北の海へ』(みなとさがんプロジェクト実行委員会『北の海へ』編集会議 2019)p108~112,p116~117
鈴木家について,間瀬屋の時代から現在当主まで記載あり。「千歳丸」の事故についての鈴木家所蔵の文書についても書かれている。
・『新潟県北洋漁業発展誌』(内橋 潔/著,新潟市,新潟県北洋漁業発展誌編纂委員会 1966)p184,295 住所記載あり。
(3)新潟県立図書館ホームページ 「郷土人物/雑誌記事索引データベース」より 「鈴木佐平」で検索したところ5冊ヒットした。
https://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/?page_id=1139(インターネット情報は2021年1月29日確認)
・『越佐傑人譜』(日本風土民族協会 1938) す-6
・『新潟県総覧』(富樫 悌二/著,新潟社 1916) p610
・『昭和新潟人物誌』(旬刊新潟社 1935) p158
・『越佐趣味の人々』(吉岡 金峰/著,大新潟時報社 1938) p75 ※鈴木魚貫として記載
・『新潟百名士』(梅田 江湖/著,新潟交友会 1924) p108~110
- 回答プロセス
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(1)Google(インターネット検索サイト)で 「鈴木佐平」「千歳丸」「事故」で検索
(2)図書館情報システムにて「北洋漁業」で検索
(3)新潟県立図書館ホームページ 「郷土人物/雑誌記事索引データベース」より 「鈴木佐平」で検索
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 9版)
- 参考資料
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- 北の海へ , ISBN 978-4-86132-716-2
- 新潟県北洋漁業発展誌
- 越・佐傑人譜 昭和14年度版
- 新潟県総覧
- 昭和新潟人物誌
- 越佐趣味の人々
- 新潟百名士
- キーワード
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- 北洋漁業
- 鈴木佐平
- 千歳丸
- 新潟ビルサービス
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000293883