レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年12月10日
- 登録日時
- 2014/12/27 19:28
- 更新日時
- 2024/01/19 14:18
- 管理番号
- 横浜市中央2412
- 質問
-
解決
東京オリンピック、1940年に予定されていたオリンピック、他国で開催されたオリンピック
について、横浜市鶴見区が関わった事例、場所が書かれた資料を探している。
- 回答
-
確認できた、1940年の東京オリンピックに関係する場所は、次のとおりです。
・響橋(めがね橋)
・総持寺
・第二京浜国道
上記3つは予定されていたマラソンコース上にあるものです。
・鶴見川
下流がボートレースの会場として計画されていました。
また、1964年の東京オリンピックに関する場所としては次の場所が確認できました。
・鶴見区役所
聖火リレーが前を通過しました。
記載されている資料は次のとおりです。
1 1940年に予定されていたオリンピック
(1) 図書
ア 『第二京浜国道と鶴見めがね橋物語』サトウマコト/編著 230クラブ 2002年
p.23~24で東京五輪のマラソンコース上に響橋があることについて記載があります。
また、p.35~「2 第二京浜国道と幻のオリンピックマラソンコース」内の
p.40からはマラソンコースについて詳細な記載があります。
イ 『鶴見ところどころ 私の鶴見・近現代史』中嶋昭/著 230クラブ新聞社 1997年
p.175~「32.第二国道とオリンピック…マラソンの折り返し点は響橋付近…」
ウ 『横浜スポーツ百年の歩み』
横浜市体育史企画刊行委員会,横浜市体育史編集会議企画/編集
横浜市教育委員会事務局体育課 1989年
p.420 「1937 01 昭和12 1 ヨットハーバー、鶴見川漕艇場へのオリンピック招致が話題となる。」
(2) 新聞記事
ア ボートレース場のことについて
(ア)「競艇協会理事横浜コース視察」
(「朝日新聞」 1937年1月15日 東京 朝刊 p.8)
(イ)「ボートは戸田村 ヨットは横浜か」
(「朝日新聞」 1937年1月17日 東京 朝刊 p.8)
(ウ)「鶴見川改修 見通しつかず」
(「朝日新聞」 1937年1月21日 東京 朝刊 p.8)
(エ)「鶴見川ボートコース 条件は全て備わる」
(「横浜貿易新報」 1937年1月15日)
(オ)「ヨット・ハーバーが横浜に確定する日」
(「横浜貿易新報」 1937年1月16日)
(カ)「ヨットハーバー横浜に確定せば」
(「横浜貿易新報」 1937年1月17日)
(キ)「ヨットコース捜査の一行」
(「横浜貿易新報」 1937年1月17日)
(ク)「ヨット港は確定」
(「横浜貿易新報」 1937年1月19日)
(ケ)「公費四百七十五万円で鶴見川を県営改修」
(「横浜貿易新報」 1937年1月19日 夕刊)
(コ)「土地は地元の寄附」
(「横浜貿易新報」 1937年1月20日)
(サ)「ボートコースに利用の県営鶴見川の改修」
(「横浜貿易新報」 1937年1月21日)
イ マラソンコースのことについて
「廿五哩マラソン選手決定」
(「朝日新聞」 1917年5月11日 東京 朝刊 p.4)
(3)インターネット
ア 「市史通信 東京オリンピックと横浜(1)/松本洋幸」
https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/gaiyo/shishiryo/jyohoshi/1-25.files/0100_20180918.pdf
3コマ目に鶴見川のボートレース場のことについて記載があります。
イ 「SPORTSよこはまVol.20:特集(2/4)」
https://www.hamaspo.com/s-yoko-page/special02vols20
鶴見川下流がボートレースの会場として計画されていた旨の記載があります。
2 1964年の東京オリンピック
(1)『よこはま 1号-3号』
横浜市オリンピック事務局/編 横浜市オリンピック事務局 1964
3号p.10にオリンピックの聖火リレーが鶴見区役所前を通過する予定時刻が記載されています。
こちらの資料はインターネット上の
「横浜市立図書館デジタルアーカイブ 都市横浜の記憶」でもご覧いただけます。
「横浜市立図書館デジタルアーカイブ 都市横浜の記憶」
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/
(2)「横浜市 鶴見区 鶴見区の年表」
https://www.city.yokohama.lg.jp/tsurumi/shokai/gaiyo/nenpyo.html
「39年(1964) 9月 東京オリンピックの聖火が9月1日に鶴見区を通過」
3 その他のオリンピック
(1) 図書
ア 『鶴見のユートピア花月園 上遠ぼたん園・民衆花壇・三笠園 鶴見区民文化祭郷土史展』
鶴見歴史の会/編 鶴見歴史の会 1988
p.4に房野池がアントワープ五輪の練習場、予選会場として使用された旨の記載があります。
こちらでは「防野の池」の表記でした。
イ 『鶴見花月園秘話 東洋一の遊園地を創った平岡廣高 鶴見ゆかりの人物誌』
齋藤美枝/著 鶴見区文化協会 2007
p.189-に大正9(1920)年、4月22日~23日に房野池で
アントワープ五輪の水泳予選大会が行われたことについて記載があります。
こちらの表記は「房野池」です。
(2) 新聞記事
ア 「生麦三笠園に水泳競技」
(「横浜貿易新報」 1920年4月23日)
イ 「競泳予選」
(「横浜貿易新報」 1920年4月24日)
(3) 「ハマスポニュース 【写真速報】北京で横浜の風を吹かせるぞ!
~北京パラリンピック日本代表・コーチが市長を表敬訪問~」
https://www.hamaspo.com/news/bmid_2008082117040600001
北京オリンピックの話題です。練習場所が鶴見川漕艇場です。
(URL最終確認日:2023年12月26日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 8版)
- 日本 (291 8版)
- スポーツ.体育 (780 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000165522