レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/08/29
- 登録日時
- 2009/09/01 02:10
- 更新日時
- 2022/08/15 15:02
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-07
- 質問
-
解決
太秦牛祭(うしまつり)に関する写真が見たい。
- 回答
-
太秦牛祭は、10月10日に右京区太秦蜂岡町の広隆寺において催される祭で、鞍馬の火祭、今宮神社のやすらい祭とともに京都の三大奇祭の一つとされています。本来は、広隆寺の隣に鎮座する秦氏の氏神、大酒(おおさけ)神社で、10月12日の深夜に行われていたとも伝えられています。大酒神社はもともと広隆寺の桂宮院(けいきゅういん)境内にありましたが、明治の神仏分離で現在地に移されました。
牛祭の起源は、平安時代中期に恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が、摩多羅神(まだらしん)を守護神として、五穀豊穣、国家安寧を祈念して始めたとされています。
祭では、紙の仮面をつけた摩多羅神が牛に乗り、鉾を持った赤鬼・青鬼の四天王を従えて登場します。
摩多羅神は鉾を持った赤鬼・青鬼の四天王を従えて境内を一巡し、境内祖師堂前で長い祭文を約一時間かけて読み上げます。
祭文が終わると、観衆に仮面を奪われないよう摩多羅神と四天王は祖師堂へ走りこみます。仮面が招福除疫のお守りとなり、観衆が仮面を奪おうと殺到するためです。
現在、牛祭は休止中です。
以下の資料に、太秦牛祭の写真《カラー》が紹介されています。
●祭文を読み上げる摩多羅神の写真
【資料1】 p32
【資料3】 p57
【資料4】 p229
【資料7】 p56
【資料5】 p16
【資料8】 p29 ※白黒写真
【資料9】 図版9
【資料10】 p119
●牛に乗り、供奉者を従えて練り歩く摩多羅神の写真
【資料1】 p32
【資料6】 p115
【資料2】 p131
【資料3】 p57
【資料7】 p57
【資料5】 p17
【資料9】 図版7
【資料10】 p119
【資料11】 写真75
●摩多羅神・赤鬼・青鬼の面
【資料5】 p17
【資料11】 写真76
●護摩を焚いている様子
【資料9】 図版8
●また、『京都観光Navi』で“牛祭”を検索すると、牛祭の内容概要と摩多羅神が牛に乗っている外観写真が確認できます。
https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=1&tourism_id=1347 (令和4年8月15日確認)
- 回答プロセス
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●“牛祭”、“祭”をキーワードに、当館所蔵資料を検索。
●“歳時記”、“広隆寺”をキーワードに、再度当館所蔵資料を検索。
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 8版)
- 寺院.僧職 (185 8版)
- 参考資料
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- 【資料1】『週刊古寺をゆく 別冊5 広隆寺と嵯峨野の名刹』 (小学館 2002)
- 【資料2】『京都の祭り暦』 (森谷尅久編 小学館 2000)
- 【資料3】『京都歳時記 3 秋たける古都』 (小学館 1986)
- 【資料4】『京の祭』 (中田昭写真・文 京都書院 1998)
- 【資料5】『月刊京都 2001年9月号』 (白川書院 2001)
- 【資料6】『京の歳時記今むかし』 (山路興造監修 平凡社 2006)
- 【資料7】『京の祭と歳時記』 (京都民報社編 京都民報社 1985)
- 【資料8】『ふるさとの祭と行事』 (田中緑紅 京を語る会 1969)
- 【資料9】『古寺巡礼京都 13 広隆寺』 (淡交社 1977)
- 【資料10】『京の365日 カメラ歳時記 下』 (横山健蔵写真・文 淡交社 1996)
- 【資料11】『京都祭の魅力1』 (横山健蔵写真 京都書院 1994)
- 【資料12】『京都大事典』 (淡交社 1984)
- 【資料13】『京都学の企て』 (知恵の会代表 糸井通浩編 勉誠出版 2006)
- 【資料14】『京都観光Navi』 (京都市観光協会) https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=1&tourism_id=1347 (令和4年8月15日確認)
- キーワード
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- 牛祭
- 広隆寺
- 大酒神社
- 歳時記
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000057546