レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20190214
- 登録日時
- 2019/06/13 00:30
- 更新日時
- 2019/09/25 11:48
- 管理番号
- 0401000584
- 質問
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未解決
橋本左内と西郷隆盛がはじめて会った日について、橋本左内側の資料では、安政2年12月27日となっているようだが、西郷側の資料では、同年12月26日となっており、1日ずれている。それはなぜか調べてほしい。
- 回答
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『敬天愛人 第十号 特別号』芳即正「西郷隆盛と橋本左内」によると、初めて会った日が1日ずれているのは、以下の理由のためと考えられる。
まず、27日、水戸藩士原田八兵衛宅にて初めて会ったというのは、橋本左内自身の記録である備忘録(『橋本景岳全集 上』p.153)によるもの。
次に、26日に初めて会ったとなっていることについて、以下のような話がある。
左内が芝田町の藩邸に西郷を訪ねるが、西郷はその容貌から左内を軽蔑し相手にしなかった。しかし国事について左内が自分の意見を述べるとすっかり感心し、その翌日、非礼を詫びるために今度は西郷が左内を越前邸に訪ねたというもの。
これは、『尋常小学修身書第五児童用(1930年)』に掲載された話であるが、『尋常小学校修身書例話原拠と其解説』によると、このエピソードの原拠は勝田孫弥著『西郷隆盛傳』である。
『西郷隆盛傳』では日付が明記されておらず、また、会った場所も橋本左内の資料と異なっているが、一般的に『西郷隆盛傳』の説がとられており、今日でも、橋本の備忘録と合わせ、後者の話を「26日」として加える構成となっている。
『大西郷全伝. 第1巻』 国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221271(2019/06/13 最終確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『続 日本史籍協会叢書 22 橋本景岳全集』年譜の5頁では、「十二月廿七日、水戸藩士原田八兵衛の曹舍に於て始て薩摩藩士西郷吉兵衛と相逢ふ。」と記載あり。
『西郷隆盛全集 第6巻』540頁では、安政2年12月26日「越前藩の橋本左内が初めて来訪し、国事を論ず。」と記載あり。
- NDC
- 参考資料
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- 続 日本史籍協会叢書 22 復刻版,日本史籍協会/編,東京大学出版会,1977年 (年譜p.5|0110320017|/210/ソ/)
- 西郷隆盛全集 第6巻,西郷 隆盛/著,大和書房,1980.8 (p.540|0110310273|/081.6/サ/)
- 大西郷正伝 第3巻,下中 弥三郎/著,平凡社,1940 (p.278|0112844006|/289.1/サ/3)
- 大西郷全集 第3巻,[西郷 隆盛/著],大西郷全集刊行会,1927 (p.6|0112844352|/289.1/サ/3)
- 史伝西郷隆盛,安藤 英男/著,鈴木出版,1988年 (p.56|0113792691|/289.1/サ/)
- 西郷隆盛 上,井上 清/著,中央公論社,1972年 (p.46|0112841705|/289.1/サ/)
- 敬天愛人 第6号,西郷南洲顕彰会専門委員会/編集,西郷南洲顕彰会,1988.9 (p.113-119|0114187040|C/283/サ/6)
- 敬天愛人 第10号,西郷南洲顕彰会専門委員会/編集,西郷南洲顕彰会,1992.9 (p.57-62|0115311961|C/283/サ/10)
- キーワード
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- 西郷隆盛
- 橋本左内
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000257380