レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年03月03日
- 登録日時
- 2007/04/06 11:19
- 更新日時
- 2007/05/01 15:50
- 管理番号
- 福井県図-20070303
- 質問
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解決
米沢藩出身の官僚政治家宮島誠一郎ついて調べている。その明治四年の日記に鈴木■二という人物が頻繁に登場する。鈴木は宮島の急進的な藩政改革を全国に広める同志。小笠原幹・松平正直・堤正誼らとともに登場するので、おそらく福井藩の大・少参事かと思われる。まず、■に入る文字が「金偏に散」と読めるが、正しくはどのような文字なのか。また、明治7年の日記には「鈴木魯」という人物も登場するが、これと鈴木■二が同一人物なのか。
- 回答
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■に入る文字は「王偏に敬」。また鈴木■[王偏に敬]二と鈴木魯とは同一人物か
- 回答プロセス
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当館HP「福井県関係調査相談DB」「人物文献索引」で「鈴木魯」を検索→「鈴木蓼処」がヒット
福井藩士で詩人、藩儒をつとめた人物で、名が魯、字が敬玉
典拠文献
1.笠井助治『近世藩校に於ける学統学派の研究 上』(吉川弘文館、1969年)
2.福田源三郎『越前人物志 中・下(復刻版)』(思文閣、1972年)
3.石橋重吉『若越墓碑めぐり(復刻版)』(歴史図書社、1976年)
蓼処は号で、名が魯、字が敬玉とあるが、「〓[金偏に散]二」と「魯」とが同一人物であるかは不明。
次に松平文庫、幕末維新期に関する藩士の名簿類をいくつか調査。
既に翻刻されている史料
○松平文庫898「藩制役成」(『福井市史 資料編5』福井市、1990年に翻刻)明治二年二月ごろの藩士名簿
高百石 鈴木〓[言偏に敬]二 慶応二寅十月十三日父百助休息、家督無相違役御番入、御詩作御相手
※ただし、「言偏に敬」の字の脇に「王偏に敬」との注記あり
○松平文庫905「藩制御礼式」(『福井市史 資料編5』福井市、1990年に翻刻)明治三年十二月~明治四年二月の藩士名簿
一等教授 学監文学所佐教 鈴木〓[王偏に敬]二
次に未翻刻史料からも列挙しておきます。
○松平文庫899「役成人名簿」明治二年二月当時。同年版籍奉還後の役職改称、改正給禄を朱書
米六十俵四斗三升六合 高百石 鈴木〓[王偏に敬]二 慶応二寅十月十三日父百助休息、家督無相違役御番入、侍作御相手是迄之通、明治二巳二月廿九日明道館訓導
○松平文庫900「福井藩役成順」記載内容は899と同一
○松平文庫901「福井藩職員録」明治二年頃の職員録 四等 高百石 訓導 鈴木〓[王偏に敬]二
○松平文庫903「福井藩職員録」版籍奉還後の新官制による職員録 十二等 大属 年給五十俵 学監 鈴木〓[王偏に敬]二 文学書佐教
○松平文庫921「福井藩人事記録 士族」幕末維新期の藩士の勤書集成安政四年五月~明治五年九月までの履歴を細かく記載。おそらくは、鈴木魯の字(あざな)「敬玉」を一文字に作り変えた字が、「王偏に敬」か。以上のことより、鈴木魯=鈴木〓[王偏に敬]二と考えて差し支えなさそう。(従って「金偏に散」ではない)
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
- キーワード
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- 宮島誠一郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000034362