レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年12月15日
- 登録日時
- 2011/01/22 13:20
- 更新日時
- 2011/01/22 13:20
- 管理番号
- 9000006995
- 質問
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解決
天明の飢饉の時に人間の肉を食べたということがあったか。
- 回答
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「楚堵賀浜風(そとがはまかぜ)」「天明凶歳日記」「天明卯辰簗」などの当時の文献に、天明の飢饉の際に人間の肉を食べた状況についての記録がある。
- 回答プロセス
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1.自館システムで件名「カニバリズム」で検索し、『人肉食の精神史』(大西俊輝著 東洋出版 1998年)そ見ると、第1部「飢餓の人肉食」第1章「飢饉の時代」に、天明の飢饉の際の人肉食の様子を、次の史料から紹介している。
・「楚堵賀浜風(そとがはまかぜ)」※菅江真澄による津軽地方の旅日記
・「天明凶歳日記」※津軽藩士の記録
・「天明卯辰簗」※八戸藩の俳人・上野家文による記録
・「後見草」※杉田玄白による随筆集
・「天明三癸卯ノ歳大凶作天明四辰ノ歳飢渇(けかち)聞書」※八戸藩の晴山忠五郎による覚書
※紹介した史料の掲載図書については、参考文献としてp465に掲載されている。
2.自館システムで件名「飢饉」を検索し、近世の飢饉の様子に関する資料を確認すると、次のものに関連の記述があった。
(1)『飢饉:飢えと食の日本史(集英社新書)』(菊池勇夫著 集英社 2000年)では、第2章「飢饉のなかの民衆」3「人・馬を食う」の項で、次の史料から紹介している。
・「饑渇負」※京都の医者・橘南谿
・「凶年之様子書」※津軽地方の飢饉記録
(2)『飢饉から読む近世社会』(菊池勇夫著 校倉書房 2003年)では、第3節「語られる人食い-事実と「事実」の間」で、「楚堵賀浜風(そとがはまかぜ)」から紹介している。また第4章「飢饉と肉食-天明の飢饉を例に」でも人肉食について述べている。第5節「肉食の極限状態」では、「北行日記」「天明卯辰簗」「飢渇聞書」に記述の内容を紹介している。
(3)『飢饉日本史(雄山閣Books)』(中島陽一郎著 雄山閣 1981年)の第2章「近世三大飢饉の惨状」2「浅間山の噴火で灼熱地獄の「天明飢饉」」の7「ついに稀代の食人鬼が出現」では、「飢饉通考」「東遊記・補遺」「東遊記」に記述の内容を紹介している。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 民族学.文化人類学 (389 9版)
- 農業経済・行政・経営 (611 9版)
- 参考資料
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- 『人肉食の精神史』(大西俊輝著 東洋出版 1998年) (p3-22)
- 『飢饉:飢えと食の日本史(集英社新書)』(菊池勇夫著 集英社 2000年) (p81-87)
- 『飢饉から読む近世社会』(菊池勇夫著 校倉書房 2003年) (p43-49,135-165)
- 『飢饉日本史(雄山閣Books)』(中島陽一郎著 雄山閣 1981年) (p67-69)
- キーワード
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- 天明の飢饉
- 飢饉
- カニバリズム
- 江戸時代
- 人肉
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 日本の歴史
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000077018