レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/01/29
- 登録日時
- 2020/03/28 00:31
- 更新日時
- 2020/03/28 00:31
- 管理番号
- 6001043215
- 質問
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解決
木津川沿岸の「川上新田」の開発者と開発年、開発された面積とその位置を知りたい。
- 回答
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次の資料に記載がありました。
・『郷土加賀屋の歴史』(川端直正/編集 大阪市立加賀屋小学校 1954)
「四 新田の話」の章(p.14-18)に開発された新田の一覧が掲載されており(p.15-17)、「新田名」「開発年」「面積」「開発者」が記載されています。
p.17の「川上」(新田名)の箇所には、「明治三年」(開発年)、「(二[町]六[反]三[畝]〇六[歩])」(面積)、「山中喜平」(開発者)とあります。
また、折込の図として「加賀屋新田の図」が掲載されており、ここに川上新田の位置が図示されています。
開発者と開発年については、次の資料でも確認できます。
・『大阪府全志 巻之3』(井上正雄/著 大阪府全志発行所 1922)
p.116-117に「大字北加賀屋」の項目があります。
「川上新田はもと木津川の押海堤に沿える寄洲なりしが、和泉国大鳥郡堺の人山中喜平、官許を得て明治三年之を開墾し、川上新田と名づけて住吉郡に属せしものなり。」(p.116)とあります。
・『大阪府の地名 I (日本歴史地名大系 28‐[1])』(平凡社 1986.2)
「川上新田」の項目(p.737)に「当地はもと木津川河口左岸の押海堤に沿う寄洲であったが、堺の山中喜平が明治三年(1870)に官許をえて開発に着手、翌年完成、住吉郡に属した。」とあります。
・『住之江区史』(大阪都市協会/編集 住之江区制十周年記念事業実行委員会 1985)
「新田開発と農業の発展」の章(p.16-25)に「その他の新田」の項(p.20-22)があり、次の記述があります。
「住吉川南岸の駒井新田は文化十四年(1817)中在家村(粉浜)の駒井丹次郎が埋め立て、木津川沿いの川上新田は明治三年、堺の山中喜平が寄州を開墾したものだが、明治15年12月、それぞれ南加賀屋新田、加賀屋新田と合併して南加賀屋新田、北加賀屋新田になった。」(p.21)
〔事例作成日:2020年1月29日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 農業経済・行政・経営 (611 10版)
- 近畿地方 (216 10版)
- 参考資料
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- 郷土加賀屋の歴史 川端/直正∥編集 大阪市立加賀屋小学校 1954
- 大阪府全志 巻之3 井上/正雄∥著 大阪府全志発行所 1922
- 日本歴史地名大系 28‐[1] 平凡社 1986.2
- 住之江区史 大阪都市協会∥編集 住之江区制十周年記念事業実行委員会 1985
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪,地名・地域
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000279677