レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/10/10
- 登録日時
- 2014/12/06 00:30
- 更新日時
- 2014/12/06 00:30
- 管理番号
- 6001005294
- 質問
-
解決
和歌山県 那賀郡中三谷村八ヶ村戸長役場は、
1.何処の場所に
2.何時から何時まで
3.存在したのか
4.どの様な業務をしていたのか
教えて戴けませんでしょうか。
- 回答
-
和歌山県 那賀郡中三谷村八ヶ村戸長役場は、
1.何処の場所に
特定できる資料は見当たりませんでしたが関係する記述がありましたので引用します。
『打田町史 第3巻 通史編』(打田町史編さん委員会/編集 打田町(和歌山県) 1986)【216.6/80N/3】
p.418
「戸長役場については、「その町村の便宜により、私宅においてその事務を取り扱うも苦しからず」とあった。したがって、戸長役場といっても、いかめしいものではなく、こうした伝統は、市制・町村制がしかれた以降も、それほど大きな変化はなく、寺院の一部などを借りている場合もあったが、後には独立の庁舎ができるようになる。」
p.416
「戸長は『那賀郡誌』によれば、(略)東三谷・中三谷・西三谷は岩田真一郎」とあります
2.何時から何時まで
3.存在したのか
『打田町史 第3巻 通史編』(打田町史編さん委員会/編集 打田町(和歌山県) 1986)【216.6/80N/3】
p.415 「郡区町村編成法が施行されると、戸長が公選され、戸長役場が置かれた。
明治十二年一月三十一日、県の布達によって那賀郡には、戸長役場六十八か所が置かれる。旧池田組は次のような編制になる。西・中・東三谷村、(以下略)」の記述があります。
4.どの様な業務をしていたのか
『和歌山県政史 第1巻 序編・明治編』(和歌山県政史編さん委員会/編集 和歌山県 1967)【327/1565/#】
p.214 「戸長は県令および郡長の監督下にあって、町村の戸籍、兵事、学事をつかさどり、県、郡など上級官庁から指示される事務の統括にあたった。
後年の町村長に相当する職であるが、その任免は公選によって推された者を県令が任命するたてまえであった。(明治十七年以降は公選によらず県令が選任することとなった)」の記述があります。
戸長役場の概要については「国史大辞典」が参考になります。
『国史大辞典 5 け-こほ』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1985.2)【210/176】禁帯出
p.874
戸長役場(こちょうやくば)
明治十一年(一八七八)より同二十一年までの町村役場の呼称。(略)
戸長役場の仕事は、県庁・郡役所からの布告・布達の徹底、徴税、徴兵、戸籍調査、地券台帳整備、教育、衛生などの厖大な国家行政事務の遂行であり、郡役所の厳しい監督下におかれていた。戸長役場の職員のほかに、各村の惣代あるいは重立が下請け機関として補助的機能をはたし、さらに村の有力者が学務委員・衛生委員として行政に参加した。
と記述されています。
また、以下の那賀郡史はWeb目録から検索すると和歌山県立図書館で所蔵しています。(2014年10月10日現在)
『紀州那賀郡史』(松田 文夫/著 1991)
『紀州那賀郡史年表』(松田 文夫/編 2002)
『和歌山県那賀郡史:明治以降の和歌山県那賀郡』(松田 文夫/著 2000)
和歌山県立図書館のHPはこちらです。
https://www.lib.wakayama-c.ed.jp/
[事例作成日:2014年10月10日]
- 回答プロセス
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中三谷村は1889年の町村制の施行により、池田村となり、1956年、田中村と合併して打田町が発足しましたので大阪府立中央図書館所蔵の
『打田町史 第3巻 通史編』(打田町史編さん委員会/編集 打田町(和歌山県) 1986)【216.6/80N/3】を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 国史大辞典 5 国史大辞典編集委員会∥編 吉川弘文館 (874)
- 打田町史 第3巻 打田町史編さん委員会∥編集 打田町 (415-416、418)
- 和歌山県史 近現代史料 1 和歌山県史編さん委員会∥編 和歌山県 (27-28)
- 和歌山県政史 第1巻 和歌山県政史編さん委員会∥編集 和歌山県 (214)
- キーワード
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- 戸長役場(コチョウヤクバ)
- 和歌山県那賀郡中三谷村(ワカヤマケンナガグンナカミタニム)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名・地域
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000164094