レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年09月04日
- 登録日時
- 2019/11/02 00:30
- 更新日時
- 2019/11/15 18:20
- 管理番号
- 秋田-2362
- 質問
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未解決
秋田藩の学館体制は役職として、上から祭酒、文学、助教、教授、教授並、勤番となっている。
このなかの「助教」について何故この名称がついたのか。秋田藩の役職のいわれ、理由が分かる資料はあるか。
- 回答
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役職のいわれや理由についての記載された資料は確認できず。
- 回答プロセス
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所蔵資料検索にて“秋田藩校”キーワード検索。
下記資料該当。
『秋田藩校明徳館の研究』(加藤民夫/著、カッパンプラン、1992.12、372/カメ/郷)資料番号:128496536
→P91 祭酒・文学・助教の三役を学長と称する と記載あり。
また、学館の最高位にある祭酒中山文右衛門の任務について次の記載あり。
「第二は儀式の挙行である。寛政十一年八月十一日には、孔子の神霊を拝する釈奠と長寿者を賞する養老とが同時に行われた。祭酒は当日の儀式が抜かりなく行われるように全精力を傾注した。」
『人づくり風土記、5、全国の伝承江戸時代』(加藤秀俊/〔ほか〕編纂、農山漁村文化協会、1989.7、212/カヒ/5郷)資料番号:111242335
→P202-211 「秋田藩校の設立」の“明道館の組織と学生”の箇所に、各諸職や任務についての記載あり。
秋田県立図書館デジタルアーカイブにて“秋田藩校”キーワード検索。下記資料該当。
『秋大史学 28号〜32号』(秋田大学史学会/編、1982.2、A205/7/28-32)資料番号:110724705
→32号 P155-168「初期秋田藩校の職員構成-寛政十一年「明道館日記」から-」
「明道館日記」をもとに、各職の行っていた任務についての記載あり。(「明道館日記」秋田県立公文書館所蔵)
『出羽路 第150~156号(平成24年2月~平成28年2月)』(秋田県文化財保護協会/編、2012.2~2016.2、A205/3/150-156)資料番号:129896007
→P1-18 「秋田藩の学館制度~運営上の諸画期とその特質」加藤民夫
“諸法令の布達”の箇所に、「明道館日記」をもとに職制を整理すると…各職についた人物の名前の記載あり。
国立国会図書館サーチにて“秋田藩“”学館”キーワード検索。
下記資料該当。
『あきた史記』(秋田姓氏家系研究会/編、秋田文化出版社、1997.9、210/アア/4郷)資料番号:128487014
→P136-153 「享和・文化期の秋田藩校ー学館制度確立期の諸問題」加藤民夫
学館体制の箇所に、職制についての記載あり。
“NDC210(日本史)” “NDC372(教育史)”郷土の書架ブラウジング。
下記資料該当。
『秋田県史 第3冊 藩治部』(秋田県/編、1980.9、210/アア/3)資料番号:124016007
P12-46 「第一章 秋田藩学明徳館」
→P13 「創立沿革概略」より
「寛政元年己酉五月、藩主入部、儒學崇尚の命あるを以て、京師の鴻儒村瀬嘉右衛門を秋田に招聘し、尋で學校建築、九月を以て上棟せり、同二年庚戌、工事落成、三月を以て見分済となれり。同五年癸丑七月に至り、館名を明道と定め、國學・祭酒以下係り官員を命ず、」と記載あり。
『秋田県史、〔通史編〕第3巻』(秋田県/編、1977.4、210/アア/3郷)資料番号:124015553
P589-744 「第四章 近世後期の文化」より
→P617-646 「第2節 藩校と郷学」の箇所に、秋田藩校の教学や目的、職員組織についての記載あり。
『「秋田藩」研究ノート』(金森正也/著、無明舎、2017.5、212/カア/郷)資料番号:129812616
→P49-53 「藩校の気風」の箇所に以下の記載あり。
「教師陣としては、下位から教授・助教・文学という役職で構成され、トップに祭酒という、現在でいえば大学総長にあたるポストがあった。孔子を祀った講堂があって、釈奠という儀式が行われ、それを司ったからである。」
『秋田県教育史、第5巻』(秋田県教育委員会/編集、1985、372/アア/5郷)資料番号:128639390
→P1-66 「第1章 近代教育の胎動」第1節から第2節まで、秋田藩校についての記載あり。“教学政策と思想”の箇所に、孔子の教えを基本に学館内に孔子を祭る聖廟が設けられていたことや、“秋田藩校の組織と運営”の箇所では、各学科の職員や任務についての記載あり。
“NDC370(教育)” “NDC813(辞典)”の書架ブラウジング。
下記資料該当。
『日本国語大辞典、第5巻』(小学館国語辞典編集部/編集、小学館、2001.5、R813.1/シニ/5)資料番号:124270786
→P1290 “祭酒”の箇所に、大学の頭(かみ)の唐名の記載あり。(一部抜粋)
『日本国語大辞典、第7巻』(小学館国語辞典編集部/編集、小学館、2001.7、R813.1/シニ/7)資料番号:124273293
→P321 “助教”の箇所に、令制の大学寮で、博士を助けて授業や課試にあたった官人で、明経科にのみ置かれていたとの記載あり。(一部抜粋)
『教育学辞典、第2巻』(城戸幡太郎/編輯者代表、岩波書店、1983、R370/10/2)資料番号:111165247
→P845 “祭酒”の箇所に、“起源” “唐の國子監” “宋以後の變革” “我國に於ける用例”の項目の“國子祭酒”の箇所に、六朝の宋になると官職も漸く備はり、祭酒の下に國子博士・助教を設け、時に國子學を置かない際にも祭酒は常置の職となつたとの記載あり。
インターネット検索にて“国子監”キーワード検索。
下記のサイト該当。
「明代の教育制度(二)」
URL:https://www.jstage.jst.go.jp/article/uheok/8/0/8_83/_pdf/-char/en
(確認日付2019.9.6)
以下の資料も確認したが、記載箇所確認できず。
『秋大史学 39~45号』(秋田大学史学会/編、1999.3、A205/7/39-45)資料番号:128302445
→44号 P69-74「秋田藩校 明徳館の研究」渡部紘一
『秋田県教育史、近代学校設立編』(戸田金一/著、みしま書房、1976.5、372.1/トア)資料番号:124018847
『秋田藩校における武芸教育』(工藤英三/著、1978.12、A789/27)資料番号:111593224
『あきた史記』(秋田姓氏家系研究会/編、秋田文化出版社、1989.5、210/アア)資料番号:112128350
『教育における伝統と創造』(玖村敏雄/編著、玉川大学出版部、1968.12、A372/74)資料番号:111464285
『秋田の近世近代』(渡辺英夫/編、高志書院、2015.1、212/ワア/郷)資料番号:124509878
『秋田県教育史、近代学校設立編』(戸田金一/著、みしま書房、1976.5、372.1/トア)資料番号:124018847
『日本教育史』(三好信浩/編、福村出版、1993、372.1/ミニ)資料番号:120742002
『歴史学研究、836号(1月号、2008.1)』資料番号:130890858
『北方社会史の視座、第2巻、歴史・文化・生活』(長谷川誠一/監修、成文堂出版、2008.2、212/ハホ/2)資料番号:124398900
『三百藩家臣人名事典、1』(家臣人名事典編纂委員会/編、新人物往来社、1987.12、R281.0/カサ/1)資料番号:110011087
『特殊教育用語辞典』(大川原潔/〔ほか〕編、第一法規出版、1971.5、378/オト)資料番号:110019114
『新 教育用語辞典』(明治図書出版社編集部/編、1949.5、242/431)資料番号:110801537
『新教育用語辞典』(明治図書編輯部/編輯、1950、370/11)資料番号:11847638
- 事前調査事項
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『秋田藩小事典』(金森正也/著、無明舎出版、2018.12、212/カア/郷)資料番号:129924312
『藩政改革と地域社会、秋田藩の「寛政」と「天保」』(金森正也/著、清文堂出版、2011.11、212/カハ/郷)資料番号:129484333
調査済み
- NDC
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- 歴史 (2)
- 社会科学 (3)
- 言語 (8)
- 参考資料
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- 秋田藩校明徳館の研究加藤民夫/著カッパンプラン
- 人づくり風土記5加藤 秀俊/〔ほか〕編纂農山漁村文化協会
- 秋大史学28号〜32号秋田大学史学会/編秋田大学史学会
- 出羽路第150〜156号(平成24年2月~平成28年2月)秋田県文化財保護協会/編秋田県文化財保護協会
- あきた史記秋田姓氏家系研究会/編秋田文化出版社
- 秋田県史〔通史編〕第3巻秋田県/編秋田県
- 「秋田藩」研究ノート金森 正也/著無明舎
- 秋田県教育史第5巻秋田県教育委員会/編集秋田県教育史頒布会
- 日本国語大辞典第5巻小学館国語辞典編集部/編集小学館
- 教育学辞典第2巻城戸 幡太郎/編輯者代表岩波書店
- キーワード
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- 秋田藩校(アキタハンコウ)
- 学館(ガッカン)
- 助教(ジョキョウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵・所在調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000263601