レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年06月30日
- 登録日時
- 2021/09/19 14:59
- 更新日時
- 2021/09/24 17:07
- 管理番号
- 0000110927
- 質問
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解決
黒田基樹著『下剋上』(講談社,2021)p151に陶晴賢の謀反の動機について記述があり、陶晴賢は「天の与えをとらざれば、かえってその科をうく」「我が運も義隆の御運も、天道の計らいにて候べし」と述べたとあるのが、この言葉の典拠を知りたい。 また、大内家の重臣杉重矩は「晴賢をすでに大内家家臣だけでなく領民も支持している旨を述べていた」とも紹介されており、この典拠を知りたい。
- 回答
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『戦国期中国史料撰』(下記資料1)所収の「大内義隆記」に陶晴賢の言葉が確認できた。「大内義隆記」は義隆の死後3ヵ月足らずで成立したとされる一代記であり、作者は明らかにされていないが、当該資料p49の解説によると義隆の菩提寺である竜福寺の住職ではないかと考えられている。以下、同書p82の該当部分を引用。
「隆房申しけるやうは、天の与へをとらざれば、返つて其の料をうく、時に至りてをこなはざれば、返つて其の科をうく、と云ふ本文有り。我が運も義隆の御運も、天道のはからひにてぞ候べし。」
p85の注釈によると「天の与へをとらざれば、返つて其の科をうく」という言葉は「史記」淮陰侯伝によるものとある。
また、杉重矩が「晴賢をすでに大内家家臣だけでなく領民も支持している旨を述べていた」という記述については、資料1所収の「相良武任申状写」に類する内容が確認できた。「相良武任申状」は大内義隆の近臣である相良武任が、陶晴賢が謀反を企てていることなどを訴えたもの。以下、同書p130-131の該当部分を引用。
「重矩申さるる事には(中略)御家人大小・老若、其の外御分国中、土民・商人以下までも、悉く隆房手下に引き入れ、御座右(義隆の側近)に、日夜召し仕はれ候若年の衆までも悉く引き入れ候て、御前の時宜に内通し、少しの儀も残る所無く候。」
その他、近藤清石 著『大内氏実録 増補復刻版』(マツノ書店, 1984)陶晴賢の部分(p283-288)、杉重矩の部分(p289-292)及び香川宣阿 著『陰徳太平記 上 復刻版』(マツノ書店, 2000)巻第十八「陶隆房陰謀之事」(p291-294)を確認したが、該当する内容は見つからなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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1.米原正義 校注 , 米原, 正義, 1923-2011. 戦国期中国史料撰. マツノ書店, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001919467-00 (p82,130-131)
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1.米原正義 校注 , 米原, 正義, 1923-2011. 戦国期中国史料撰. マツノ書店, 1987.
- キーワード
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- 大内, 義隆, 1507-1551
- 陶,晴賢
- 杉,重矩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304873