レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/09/26
- 登録日時
- 2020/10/16 00:30
- 更新日時
- 2020/10/16 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-200045
- 質問
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解決
幕末,仙台藩校養賢堂で教えていて,後に福島県新地町の観海堂の教授となった氏家晋は,養賢堂ではどのような地位・立場だったか。
- 回答
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下記資料に関連する記述がありました。
資料1 加藤文弥稿, 松田亨校訂『氏家閑存と観海堂』氏家閑存先生頌徳会, 1958【K289/ウ3】
(1)p.6 「五.閑存先生養賢堂の教授になる」の項
p.6 「安政元年正月,昌平黌に業を卆って江戸を辞し,二月に仙台に帰る。藩公大いに喜んで,直ちに養父参の後を継ぎ,養賢堂教授を命ぜられた。(後略)」
(2)pp.7-8 「七.先生藩公の侍講となる」の項
pp.7-8 「先生は藩学養賢堂に指南役として教鞭をとる傍ら,慶応二年八月より古内左近介組の小姓組置となり,更に親しく藩公慶邦の侍講を命ぜられ和漢の書を進講した。(後略)」
資料2 宮城県教育委員会編『宮城県教育百年史 第1巻』ぎょうせい, 1976【K372/ミ1-2/1】
pp.91-94 「庶民のための養賢堂日講所」の項
p.94 「氏家晋 亘理郡荒浜に生まれる。江戸昌平黌に学び,のち養賢堂指南役となり侍講を兼ねた。(後略)」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 加藤 文弥/稿 松田 亨/校訂. 氏家閑存と観海堂. 氏家閑存先生頌徳会, 1958【K289/ウ3】:
- 宮城県教育委員会/編. 宮城県教育百年史 第1巻. ぎょうせい, 1976【K372/ミ1-2/1】:
- キーワード
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- 氏家, 晋(ウジイエ, ススム)
- 氏家, 閑存(ウジイエ, カンソン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000288324