レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20131005
- 登録日時
- 2018/01/28 00:30
- 更新日時
- 2021/02/25 11:48
- 管理番号
- 中央-2017-07
- 質問
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未解決
明治期の版画家、小林清親の版画が「光線画」と称して出版されたという証拠を知りたい。新聞や雑誌などの広告や版元からの何らかの告知に使用されたと思われる。
- 回答
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都立中央図書館で所蔵している資料、および当館契約のオンライン・データベースの新聞記事索引、雑誌記事索引等を、<清親><光線画>等のキーワードで検索して該当記事を調査した。資料1には、「近年、発見された」清親自身が執筆した「毛鉛画」の描き方の教科書(明治28年)の中に「光線画」という言葉が使われ、明治時代唯一の用例だという記載がある。ただ、それ以外の資料で明確な根拠は見出せなかった。
資料2と3には、「光線画」という言葉の出典がないことが書かれている。
資料4~6には「光線画」についてまとまった記述があり、資料7には、明治初期に「光線」という言葉が流行していたという記載がある。
資料1は、「没後100年 小林清親 『光線画』に描かれた郷愁の東京」という特集を組んだ雑誌である。吉田洋子「光線画の教科書」(p.108-110)という記事のp.108の8-10行目に以下の記述がある。執筆者の吉田洋子は山口県立萩美術館・浦上記念館学芸員。下記引用中の「本書」とは、1895(明治28)年に出版された小林清親著『教科適用 毛鉛画独稽古 附教授法』。
「近年、発見された本書は、清親が活躍していた時代に『光線画』という言葉が使われてたことを明示する唯一の資料である。」「これまで『光線画』という言葉の明治時代の用例が確認されておらず、この言葉の意味するところに関しては研究者によっても様々な解釈があり、なかには清親の活躍当時の言葉であるかを疑問視する見解もあった。」『教科適用 毛鉛画独稽古 附教授法』の光線画の記載箇所は国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/ 最終検索日:2018年1月4日)をキーワード<毛鉛画独稽古>で検索した結果のうち、『毛鉛画独稽古 : 教科適用. 第1編』小林清親画 1895(明治28)年 愛智堂 のコマ番号5で確認できる。この資料はインターネット上で公開されており誰でも見ることができる。
資料2のp.92-93コラム「闇と光 -清親の挑戦-」(桑山童奈・神奈川県立歴史博物館学芸員)には、下記の記述がある。
「この『東京名所図』を語るときに必ず使われる「光線画」という言葉があります。(中略)この「光線画」という言葉がいかなる文脈で使われていたか、実は明らかでありません。最初に出版した版元の松木平吉が使い始めたという説が有力ですが、出版当時の新聞記事などに使用例を見出すことはできません。」
資料3(※)の研究論文、田淵房枝「小林清親の「光線画」をめぐって : その表現の成立と展開の一試論」(p.59-77)のp.59「はじめに」7-9行目に以下の記述がある。(※資料3は都立多摩図書館所蔵)
「『光線画』という呼称の出どころは定かでなく、松木平吉が清親のスケッチ帳を見て考案したという清親の五女・小林哥津の回想による説もあれば、清親が松木に売り込んだという説もある。」
なお、この論文は、関西学院大学機関レポジトリで全文をダウンロードできる(http://hdl.handle.net/10236/13278 最終検索日:2020年4月9日)。
資料4の巻頭解説中のp.6-7に「3 小林清親の東京名所版画…光線画の登場」があり、次の記述がある。
「光と影の効果による明暗表現、開化錦絵とは一線を画する色面のぶつかりあいのない構成は、版元・松木平吉の考案という「光線画」呼称、当時の明治初年には斬新ともいえたこのキャッチフレーズ漢語と相俟って好評を博する。」
また、巻末解説中のp.54に「光線画と明暗法」として光線画の表現についての記述がある。
資料5のp.57-67に「Ⅵ 光線画の誕生」があり、p.59に次の記述がある。
「(前略)この「光線画」と銘うって売り出された、五枚のうち四枚の作品の欄外に、英文が附され、題名とその説明が加えられていることである。」
資料6のp.56-71に「洋風版画」があり、p.57に次の記述がある(文中の旧字は新字に置き換え)。
「(前略)それから約八ヶ月を経て始めて彼の理想画を描いて、これを松木平吉と言ふ版元から「光線画」と名打って売り出したのである。」
なお、この松木平吉については、資料2のp.7に「大黒屋という屋号で知られた松木平吉」、p.50「大黒屋(松寿堂)こと松木平吉」という記述がある。
また、資料7の山梨恵美子著「清親作品と時代背景-「東京名所図」-光線画の誕生」(p.38-63)という記事のp.38には、清親の作品が「『光線画』と称してもてはやされた。前田愛氏によれば、『光線』という言葉は当時流行していたという」とある。
また、資料8-10も確認したが、記載はなかった。
【調査に使用したデータベース等】○は当館契約のオンライン・データベース
○朝日新聞記事聞蔵(きくぞう)Ⅱビジュアル(朝日新聞社)
○ヨミダス歴史館 (読売新聞社)
○毎索(毎日新聞社)
○雑誌記事索引データベースざっさくプラス(皓星社)
○WHOPLUS (日外アソシエーツ) ※人物に関するデータベース
・国立国会図書館NDL-OPAC(https://ndlopac.ndl.go.jp/) 「雑誌記事索引」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 版画 (730 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】別冊太陽 (2015年6月)
- 【資料2】小林清親東京名所図
- 【資料3】人文論究 65巻 1号 (2015年5月)
- 【資料4】清親と安治 近代錦絵の光芒 / [小林清親]/[画] 川越市立美術館 2005.2 <D/721.8/5109/2005>
- 【資料5】開化の浮世絵師清親 / 酒井忠康/著 せりか書房 1978 <7330/66/78>
- 【資料6】清親と安治 明治の光の版画家達 / 近藤市太郎/著 アトリエ社 1944.5 <7330/13/44>
- 【資料7】日本の美術 368号 (1997.1)
- 【資料8】新聞広告美術大系 4明治編 / 羽島 知之/編集 大空社 1999.2 <D/6749/3409/4>
- 【資料9】清親考 / 小林 哥津/著 素面の会 1975 <S/7330/3041/75>
- 【資料10】清親画伝 / 小林清親/画 松木平吉 1927.5 <7330/19/27>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000229271