レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20140426
- 登録日時
- 2014/04/23 10:07
- 更新日時
- 2014/04/30 16:26
- 管理番号
- 広県図20140001
- 質問
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広島の原爆慰霊碑は稲田石で造られていると聞いたが,稲田石が採用された理由が知りたい。
- 回答
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『慰霊碑解説のしおり』(被爆体験証言者交流の集い/編 [被爆体験証言者交流の集い][2002])に,「原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)」は,設計者が丹下健三,材質は「みかげ石「稲田石」(屋根部分)」とあり,「1985(昭和60)年の改築工事まではコンクリート製」と書かれている。
広島市の広報紙『広島市民と市政』昭和59年8月1日付(No.769)に「平和都市記念碑を改築 来年3月完成予定」とのお知らせがあり,「コンクリート造りのはにわ型屋根が老朽化したため」,「材料はコンクリートに代えてみかげ石を使います。」と書かれている。『広島市民と市政』昭和60年4月15日付(No.788)には,「平和への誓い新たに 記念碑の改築が終了」とのお知らせあり。「長年の風雪にさらされ,コンクリートの下地が露出するなど傷みが激しく、原爆死没者名簿を納める石室も手狭になったため、被爆四十周年を機に建て替えた」,「みかげ石による石造りに全面改築し、半永久的なものにした。」との説明あり。
改築工事が計画及び実施された頃の新聞記事を調べたところ,昭和58年5月2日付の『中国新聞』に「材料は現在のコンクリートに代えて白っぽいミカゲ石を使」うことが書かれており,翌月19日付には「茨城県笠間市で産出するみかげ石(稲田石)製に替える。」と,ここで稲田石の名前が出てくるが,採用の理由は書かれていない。
丹下健三に関する資料を調べると『丹下健三とKENZO TANGE』(豊川斎赫/編 オーム社 2013)に,丹下氏が「慰霊碑を無垢の御影石に変えたい」と提案した,「広島平和記念公園」のプロジェクトが残ることに非常にこだわりを持っていた,との証言があるが,ここにも稲田石を採用した理由については書かれていなかった。
- 回答プロセス
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まず慰霊碑の材質が稲田石であるのかを確認する。初めはコンクリートで造られていたものが,劣化が進んだため改築工事によってみかげ石(稲田石)製になったことが分かった。
改修工事が行われた頃の広島市の広報紙や市議会に記録がないかを調査。
広報紙には,改築工事の開始及び完成のお知らせの記事はあるが,材質については「みかげ石」とだけ書かれている。市議会の記録には,関連の記述は見付からず。
当時の新聞も調査したが,稲田石を採用した理由について書かれたものは見付からなかった。
設計者であり改修にも関わった丹下健三の意図が書かれているものがないかと,関連資料を調査。『丹下健三とKENZO TANGE』(豊川斎赫/編 オーム社 2013)に,丹下氏が「慰霊碑を無垢の御影石に変えたい」と提案したとの証言と,丹下氏の広島平和記念公園プロジェクトへのこだわりが語られている。
稲田石について調べたところ,『石材の事典』(朝倉書店 2009)に「素面が美しい.磨き上がりの光沢.石質の硬さ.加工性に富む.」との説明があった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会福祉 (369)
- 建築計画.施工 (525)
- 建築学 (520)
- 参考資料
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- 『慰霊碑解説のしおり』被爆体験証言者交流の集い/編,[被爆体験証言者交流の集い],[2002](地図番号20) (広島平和記念館のウェヴサイトの「平和記念公園・周辺ガイド」(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/tour_fra.html)にも同じ内容で掲載あり。)
- 『丹下健三とKENZO TANGE』豊川斎赫/編,オーム社,2013(p.506-508 「広島平和記念公園」の改修工事,p.677 晩年の広島とパリ)
- 『石材の事典』鈴木淑夫/著,朝倉書店,2009(p.223-224 いなだみかげ 稲田御影)
- キーワード
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- 原爆被爆者慰霊碑
- 広島平和記念公園
- 丹下健三
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000152555