レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/05/02
- 登録日時
- 2022/06/02 00:30
- 更新日時
- 2022/06/06 16:02
- 管理番号
- 秋田-2757
- 質問
-
未解決
大仙市協和にある三部落を併せて稲沢地区というが、この地区の始まりを知りたい。一番古いといわれている家に800年前のお寺の過去帳があった。
- 回答
-
800年前の稲沢地区についての資料は確認できず。近世以降の記載があった以下の資料を案内。
①『角川日本地名大辞典 5 秋田県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編、角川書店、1980、290/カカ/郷)資料番号:129109104
②『日本歴史地名大系 5 秋田県の地名』(平凡社、1980、291.0/ヘニ/5)資料番号:111343521
③『協和村郷土誌』(協和村郷土誌編纂委員会/編、協和村教育委員会、1968、214.7/キキ/郷)資料番号:124032608
④『協和町史 上巻』(協和町史編さん委員会/編、協和町、2001、214.7/キキ/1郷)資料番号:128772134
⑤『六郡郷村誌略 秋田郡(久保田〜五十目)、仙北郡、平鹿郡、雄勝郡』(A290/79/2)資料番号:112386776
⑥『新秋田叢書 第4巻』(今村義孝/監修、歴史図書社、1971、081.7/イシ/4)資料番号:124034224
⑦『新秋田叢書 第15巻』(今村義孝/監修、歴史図書社、1972、081.7/イシ/15郷)資料番号:124034331
- 回答プロセス
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1.地名辞典を確認。
①『角川日本地名大辞典 5 秋田県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編、角川書店、1980、290/カカ/郷)資料番号:129109104
→P103-104 稲沢<協和町>
〔近世〕稲沢村 江戸期~明治22年の村名。出羽国仙北郡(寛文4年まで山本郡)のうち。秋田藩領。(以下略)
②『日本歴史地名大系 5 秋田県の地名』(平凡社、1980、291.0/ヘニ/5)資料番号:111343521
→P309-310 稲沢村
正保四年(1647)の出羽一国絵図によれば一九七石。 (以下略)
2.大仙市協和地区の郷土誌を確認。
③『協和村郷土誌』(協和村郷土誌編纂委員会/編、協和村教育委員会、1968、214.7/キキ/郷)資料番号:124032608
→P57-58 稲沢村
水沢村の上流の村(中略)、古くは、落合、水沢、其他を総称して、稲沢郷と云い、奥の稲沢が後に、稲沢村となりたるものと、推察される。(以下略)
④『協和町史 上巻』(協和町史編さん委員会/編、協和町、2001、214.7/キキ/1郷)資料番号:128772134
→P193 十七世紀前期の村
当地域における中世以前の集落の様子は知る由もない(以下略)
3.④の参考資料を確認。
⑤『六郡郷村誌略 秋田郡(久保田〜五十目)、仙北郡、平鹿郡、雄勝郡』(A290/79/2)資料番号:112386776
※近藤甫寛が寛政末頃自ら秋田藩郡村を踏査して記した総合地誌『久保田領郡邑記』(別名『寛政郡邑記』)を大もとの原本としている
→P69 稲沢
髙三百七十石。支村 落合 上野 本郷 水沢 屋敷沢(以下略)
4.その他、郷土の地誌関連資料を確認。
⑥『新秋田叢書 第4巻』(今村義孝/監修、歴史図書社、1971、081.7/イシ/4)資料番号:124034224【貸出可・複写可】
『六郡郡邑記』※享保郡邑記とも稱し青龍堂岡見知愛の享保十五年に編纂したものである
→P52 稻沢村
家員七十七『八十』軒。河辺郡舟岡村の内金山との境もろ杉山峯限。(以下略)
⑦『新秋田叢書 第15巻』(今村義孝/監修、歴史図書社、1972、081.7/イシ/15郷)資料番号:124034331
『秋田風土記』※文化十二年(一八一五)秋田藩士淀川盛品が、秋田領の六郡を郡ごとに1冊にし記述したもの
→P280 稲沢(協和町)
心像より東二里に在。山越の道 高三百七十石、免五つ五分、田水沢川、人家百三十戸(以下略)
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
- キーワード
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- 稲沢(イナサワ)
- 地誌(チシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000316902