レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20031225
- 登録日時
- 2005/02/04 02:16
- 更新日時
- 2019/12/12 15:27
- 管理番号
- A2003F2620
- 質問
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解決
杉山茂丸(夢野久作の父)と日活との関係がわかる資料。
- 回答
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以下の資料を調査しましたが、日活が杉山茂丸の葬儀を撮影したことや、生前に日活と関係があったことを示す記述は発見できませんでした。
(1)『杉山茂丸 明治大陸政策の源流』 一又正雄著 原書房 1975
(2)『杉山茂丸伝 もぐらの記録』 野田美鴻著 島津書房 1992
(3)『夢野一族 杉山家三代の軌跡』 多田茂治著 三一書房 1997
(4)『夢野久作著作集 5』 西原和海編 葦書房 1995
(5)『人ありて 頭山満と玄洋社』 井川聡、小林寛著 海鳥社 2003
(6)『玄洋社社史』 玄洋社社史編纂会編 1992
(7)『日本策士伝 資本主義をつくった男たち』 中央公論社 1994
(8)『明治の人物誌』 星新一著 新潮社 1978
(9)『近代日本と中国 上』 竹内好、橋川文三編 朝日新聞社 1974
(10)『日活四十年史』 日活株式会社編 1952 <778.067-N715n>
(11)『日活五十年史』 日活 1962 <778.067-N715n2>
上記(2)pp.44-48に杉山茂丸の訃報として、昭和10年7月20日の東京朝日新聞、読売新聞の記事が掲載されていますが、日活の撮影については触れられていません。また、同書pp.48-49に葬儀の模様を伝える東京朝日新聞の記事(下村海南が昭和10年7月27日~29日に連載した茂丸への追悼文の一部)もありますが、やはり日活については触れられていません((2)の冒頭に「昭和10年7月22日於芝増上寺茂丸葬儀」「会葬者の一部」という写真がありますが、日活とは関係ないようです)。さらに、(1)には「付録一」としてpp.271-359に「杉山周辺の百人-人的関係研究の一試作」、「付録二」としてpp.360-365に「杉山の交友」という章がありますが、いずれにも日活関係者らしき人物は記載されていません。
今回の回答作成には、2003年12月19日より当館ホームページ(http://www.ndl.go.jp/)にて公開している「近現代日本政治関係人物文献目録」を使用しました(最終アクセス日:2003.12.24)。これは、国立国会図書館所蔵の邦文図書から、政治の分野で活躍した日本人に関する文献を選択し、人物名から関連文献を検索できるようにしたものです。
< >内は当館請求記号
(2019年12月12日 追記)----------------------
当該事例にコメントをいただきましたので、情報を追記します。
1.上記回答(10)の資料に、杉山茂丸と日活との関係が分かる箇所がありました。
(10)『日活四十年史』 日活株式会社編 1952 【当館請求記号:778.067-N715n】
*p.41、p.74に、大正2年10月完成の向島スタジオの敷地が杉山茂丸の別荘であったことが記述されています。
2.以下の資料に、杉山茂丸について書かれた箇所があります。
『社史で見る日本経済史 第80巻』加藤厚子 監修. ゆまに書房, 2015.6 【当館請求記号:DH22-L498】
*「日活の創立事情(と、自分の責任観)」p.3に「杉山氏後藤伯を推す」という小見出しで、杉山茂丸について記述されています。
3.平成27年に発見された杉山茂丸の葬儀フィルムについての論文があります。
ただし、撮影者は日活ではなく、中島徳松氏です。
論文名 杉山茂丸葬儀フイルムについて (第4回研究大会の記録)
著者名 浦辺登
掲載巻 4:2016
ページ pp.238-242
『民ヲ親ニス : 「夢野久作と杉山3代研究会」会報』「夢野久作と杉山3代研究会」事務局, 2013- 【当館請求記号:Z72-G237】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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杉山茂丸の葬儀を日活が記録していたとのこと。
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 杉山茂丸(スギヤマ シゲマル)
- 日活株式会社
- 照会先
- 寄与者
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- 東京都公文書館
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 公共図書館
- 登録番号
- 1000014471