レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年02月12日
- 登録日時
- 2018/02/23 11:13
- 更新日時
- 2019/01/22 15:20
- 管理番号
- 2018-3
- 質問
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未解決
(1)旗本松平定一の娘で久松定謨の妹であった増子について調べているが、増子が日尾直子の養女となった経緯を知りたい。
(2)久松定謨が神奈川県下、青森県士族赤羽操に学ぶことになった経緯を知りたい。
- 回答
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(1)久松定謨については、【資料1】p34-36に「豊後守松平勝実の三男」と記載があるが、妹増子については資料がなく不明。
(2)【資料2】のp56に、「幼少の頃より旧会津藩士赤羽操氏に師事してその家塾に寄寓し、厳格なる教育を受けた」とある。定謨は、上記(1)のとおり、明治5年6歳で静岡から東京に、その後明治16年17歳でフランスに留学しているので、赤羽操の家塾に寄寓したのは幼少期ではないかと思われるが、資料がないため不明。「秋山将軍の郷里伊予松山の旧藩主久松伯爵家の当主を定謨氏と言ひ、将軍より8歳の年少であった。幼少の頃より旧会津藩士赤羽操氏に師事してその家塾に寄寓し、厳格なる教育を受けたが、漸く長ずるに及びて陸軍に出身することに決し当時帝国陸軍の指導国であった仏蘭西の士官学校に入学するため同国に留学することとなった。(以下略)」
この他、【資料3】~【資料6】を調査したが、定謨が赤羽操に学ぶことになった経緯については不明。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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「日尾直子とその周辺」片倉比佐子 江戸期おんな考/東京桂の会 編 (11) 2000 p.35~50 ※当館所蔵なし
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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- 【資料1】『久松定武は語る』「久松定武は語る」刊行会 1985年 <当館請求記号:K289-ヒサ-1985>
- 【資料2】『秋山好古』 秋山好古大将伝記刊行会 1936年 <当館請求記号:K289-アヨ-1936>
- 【資料3】『松山叢談』巻3,4 予陽叢書刊行会 1935年) <当館請求記号:K283-6-3, K283-6-4>
- 【資料4】『松山市史料集』8 三輪田米山日記 松山市役所 1984年 <当館請求記号:K231-29-8>
- 【資料5】『大原観山遺稿集』(大原観山/著 愛媛文学叢書刊行会 1982年)<当館請求記号:K919-31-1>
- 【資料6】『まつやま人・彩時記』 松山市文化協会 2006年 <当館請求記号:K283.1-マツ-2006>
- キーワード
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- 久松定͡謨
- 日尾増子
- 日尾直子
- 赤羽操
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000231206