レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年07月28日
- 登録日時
- 2011/11/29 15:58
- 更新日時
- 2012/03/12 23:43
- 管理番号
- 埼浦-2011-071
- 質問
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未解決
武蔵国(現在の東村山市久米川)の関善左衛門および一族の関長輝について記述のある資料を見たい。
- 回答
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関善左衛門および一族の関長輝について東村山市久米川との関連など詳細な記述のある資料は見つからなかった。関連の記述のある下記の資料を紹介した。
関善左衛門について
『日蓮宗事典』(日蓮宗宗務院 1981)
『新修荒川区史 下』(東京都荒川区編 1955)
p1097〈善性寺〉の項に記述あり。
関長耀について
『日本名刹大事典』(雄山閣 1992)
p639〈天王寺〉の項
「日蓮が鎌倉より安房・塩原等を往還する折に帰依し、邸内に結んだ庵が感応寺となった」
『東京都の地名 日本歴史地名大系 13』(平凡社)
p901 道灌山の由来(関小次郎長耀入道道閑)ともいわれる。付近を治めていたらしい。
『台東区史 通史編Ⅰ』
p299「感応寺は、日蓮上人在世の時代に開かれた寺庵であって、在地の武士であった関氏がその開基であったとする伝承がある。」
- 回答プロセス
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《Google》を〈関善左衛門〉で検索する。
善性寺の縁起に関する情報数件あり。
《NDL-OPAC》を〈本化別頭仏祖統紀〉で検索する。
『氏姓家系大辞典 2 キ-ト』
p3139 20武蔵の関氏 「又豊島郡の関氏、小次郎長耀入道道閑は道灌山付近を領す。道灌山の名は此の道閑より来るなりと云ふ」
『国史大辞典 9』
p1006〈天王寺〉の項に「日蓮のために関長耀が邸内に建てた庵を、日源が開山となり長耀院感応寺と称したことに始まると伝え(後略)」とあり。
『新編武蔵国風土記稿 1』(大日本地誌大系版 雄山閣)
p354上(巻之十八 豊島郡之十)
〈道灌山〉の項に上記『氏姓家系大辞典』の出典と思われる記述あり。
「當所は關道閑と云者の屋敷蹟なる由、(中略)又谷中感應寺及根岸村善性寺は關小次郎長耀入道道閑の開基にて、此人此邊を領せしなと傳ふれば、關道閑の居蹟なる事明けし、(後略)」
なお、感應寺(p304上)・善性寺(p305下)の項には記述なし。
『東京都の地名 日本歴史地名大系 13』
〈新堀村〉(p901中)の項に風土記稿を典拠にした道灌山の由来についての記述あり。ただし詳細は不明とあり。
〈久米川宿〉(p1020中)の項、日蓮が佐渡配流時に立ち寄った旨の記述はあるが、関氏関連の記述なし。
調査済み資料
『論集幕藩体制史 第1期(支配体制と外交・貿易) 11 幕政の新段階』(藤野保編 雄山閣出版 1996)
日蓮宗関連資料
『日蓮 人物叢書 新装版』(福屋武人編 学術図書出版社 1991)
『日蓮宗の成立と展開』(中尾尭著 吉川弘文館 1973)
『日蓮という人 その虚像と実像』(戸頃重基著 至誠堂 1966)
『日蓮 その行動と思想』(高木豊著 評論社 1980)
『日蓮聖人大事典』(石川教張編 河村孝照編 国書刊行会 1988)
『日蓮聖人全集 5』(日蓮著 渡辺宝陽編 春秋社 1993)
『日蓮聖人人事蹟事典』(中尾尭編 雄山閣出版 1981)
『日蓮大聖人ゆかりの地を歩く』(鎌倉遺跡研究会著 第三文明社 1994)
『日蓮聖人の足跡』(螢沢藍川著 新潮社 1923)
『祖師伝研究』(久保日参著 日本図書刊行会 1988)
『日蓮の世界 仏典を知る』(紀野一義エッセイ 菊池武夫解説文 佼成出版社 1991)
『日蓮宗 わが家の宗教 4』(渡辺宝陽著 庵谷行亨著 大法輪閣 1984)
『日蓮信仰の系譜と儀礼』(中尾堯著 吉川弘文館 1999)
『日蓮大聖人年譜』(日蓮大聖人年譜編集委員会編 第三文明社 2000)
『日蓮 われ日本の柱とならむ ミネルヴァ日本評伝選』(佐藤弘夫著 ミネルヴァ書房 2003)
東京の歴史資料を調査
『東京市史稿 事項別目次索引』(東京都編 東京都 1998)
『東京市史稿 宗教篇2』(東京都編 臨川書店 1973)
p262-266「感応寺(法華)草創」の項あり。
p263に「関氏」の記述。草創の由来に関する記述あり。
p266に「関長耀」の記述あり。草創の由来に関する記述あり。「谷中土着の武士関長耀」(この部分の出典は「新撰東京名所図会」)
p484-485「善性寺(法華)草創」の項あり。関善左衛門については「中興開基妙城院日義、俗称関善左衛門トテ、村ノ小民ナリ。今猶子孫アリ。(後略)」とあり。(この部分の出典は「新編武蔵風土記稿」)関善左衛門の法名:妙城院日義がわかる。
東京の人名事典の調査
『江戸東京市井人物事典』(北村一夫著 新人物往来社 1976)
p174〈関小次郎〉(せきのこじろう)の項あり。
道灌山が「関の小次郎長耀、薙髪して道灌といった豪族の屋敷地で「どうかん山」は小次郎の名をつけたものという。」説をも紹介している。(出典は「江戸名所図会」)
〈関善左衛門〉の項はなし。
〈新撰東京名所図会〉 自館目録で該当の地域を収録したものは見つからず。
〈落穂集追加〉「落穂集追加」では見つからないが、『江戸史料叢書』の『落穂集』に、これは「落穂集追加」として刊行しなければならないが、江戸時代の名称のまま「落穂集」としたとあり。
『落穂集』(江戸史料叢書)(大道寺友山著 萩原竜夫、水江漣子校注 人物往来社 1967)
p250-251「道灌山の事」中に「関の道くわんと」の名あり。道灌山の由来に関する記述あり。
〈江戸名所図会〉
『江戸名所図会 5』(斎藤幸雄〔ほか〕編 長谷川雪旦画 鈴木棠三、朝倉治彦校註 角川書店 1967)
p100「長耀山感応寺」の項の注に「最初道灌山の関小次郎長耀(入道道閑)の屋敷近くに建立された。」との記述あり。
p119-120「道灌山」に道灌山の由来の記述中に関長耀の名があがっている。
『江戸名所図会を読む』(川田寿著 東京堂出版 1990)
p234-235「道灌山聴虫(どうかんやまのむしきき)」項中に道灌山の「地名のいわれについては、関道観(谷中感応寺の開基)の屋敷跡であるとか、江戸城主太田道灌の砦があったからとか、はっきりしていない」とあり。
《日本古典籍総合目録》を〈本化別頭仏祖統記〉で検索する。
活字になったものが「日蓮宗全書」に収録されていることがわかるが、所蔵なし。(国会図書館にはあり。明治から大正期の刊行物。近代デジタルライブラリーでは館内限定公開)
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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『日蓮宗事典』(日蓮宗宗務院 1981)
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『新修荒川区史 下』(東京都荒川区編 1955)
- 『日本名刹大事典』(雄山閣 1992)
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『日蓮宗事典』(日蓮宗宗務院 1981)
- キーワード
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- 関 善左衛門(セキ ゼンザエモン)
- 関 長耀(セキ ナガテル)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000097261