レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/11/26
- 登録日時
- 2009/03/18 02:11
- 更新日時
- 2009/04/27 14:40
- 管理番号
- 埼浦-2008-064
- 質問
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未解決
太平洋戦争末期(昭和20年)、浦和地区憲兵隊があった場所を探している。
- 回答
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所在地を確定できる資料は見あたらなかった。下記1の資料と2の情報を紹介した。
1 資料の記述から得た情報は以下の通り。
『市高の学徒勤労動員 早蕨3』(さいたま市立浦和高校歴史同好会 2001)
p95、当時の体験談文中に「旧制浦高(北浦和公園)憲兵隊出張所の前に」との記述あり。
『檪林 旧制浦和高等学校第二十三回生卒業五十周年記念文集』
p280、当時の体験談文中に「〔旧制浦高の〕校庭裏の憲兵隊前庭で」との記述あり。
2 国会図書館への調査依頼より得た情報は、以下の通り。
『昭和年間法令全書 第19巻-5』(内閣印刷局 原書房 2006)p4-18
「憲兵隊配置、憲兵分隊管区ノ件」(昭和20年6月30日陸軍省令第39号)
「憲兵隊配置、憲兵分隊管区左ノ通定ム」として、次のように記載されている。
憲兵隊:東部憲兵隊、位置:東京都麹町区、地区隊名称:浦和、位置:埼玉県浦和市常盤町
- 回答プロセス
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調査済み資料(浦和地区憲兵隊に関連すると思われる記述があるもの)は以下の通り。
『新しい旅だちのために』(フランシスコ会イエズスの聖心修道院カトリック北浦和教会 1992)
p41「再録アルマン神父を偲ぶ」に、聖フランシスコ修道院(旧浦和市)のことについて、「戦時中から住んでいた近所の人の話によれば、昭和二十年三月~五月、東京大空襲が頻発したころの一時期、修道院の応接間が憲兵の詰め所として占拠され」とあり。
『本土決戦準備1 (戦史叢書51)』(朝雲新聞社 1971)
p250-「国内憲兵の編制改正」の項に「浦和地区憲兵隊(浦和)埼玉県」とあるが、詳細な住所はなし。
『浦和市史 第4巻〔4〕 近代史料編』
p668「厚沢八郎日記」昭和20年7月14日の項に、「北浦和に駐在の兵隊(曹長、軍曹、上等兵各一名)三人来訪。」とあるが、憲兵隊であるかはわからなかった。
『日本憲兵正史』(全国憲友会連合会本部 1976)
p1376、終戦時では「東部憲兵隊司令部 浦和地区隊」となっている。
『日本憲兵外史』(全国憲友会連合会本部 1983)
p114-117「浦和地区憲兵隊」の項のp116に、「浦和高校の裏などに着陸した米機搭乗員を捕虜にして、浦和地区隊本部の庭に連行して来た。」とあるが、住所については記述なし。
昭和20年に憲兵隊が編成される前の資料
『浦和市史 第4巻〔1〕 近代史料編』
p661「玉蔵院内ニ憲兵仮駐在所開設ノ達」(明治16.8.24) p661「憲兵警察区屯所設置告示」(明治30.5.25)に「北足立郡浦和町百九十八番地ニ設置」とあり。
『日本之憲兵 正・続』(三一書房 1971)
p170「第一憲兵隊埼玉首都 埼玉憲兵警察区浦和町屯所」「6月1日 (略)埼玉県北足立郡浦和町百九十八番地ニ開設」とあり。
『埼玉県報 第614号(明治30.5.25)』「憲兵隊浦和屯所設置ノ件告示六十二号」
《埼玉県立文書館Web-OPAC》を〈憲兵〉で検索した結果、該当すると思われる文書が数件ヒットした。ただし、昭和20年の文書はなし。
その他、記述が見あたらなかった調査済み資料
『大日本国誌武蔵国 3』 憲兵屯所に浦和の記述なし。
『浦和市勢要覧』 昭和20年のものは所蔵していない。
『埼玉県警察史 上・下』
『埼玉県下普通電話番号簿 大正9年10月1日現在』
『埼玉県下各地特設電話番号簿 大正10年9月改』
『浦和市案内図』(毎日新聞浦和専売所佐々木新聞舗他 〔194-〕)
『浦和市全図』(須原屋書店 1947)
『帝国陸軍編制総覧』
『日本陸海軍の制度・組織・人事』
『日本陸海軍事典』(新人物往来社 1997)
『大本営陸軍部10 昭和20年8月まで (戦史叢書 82)』
『或る憲兵下士官の雑記帳』(石田忠四郎 雄文社出版企画室 1990)
『埼玉雑索』を〈憲兵〉で検索した結果、該当する論文なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 国防政策.行政.法令 (393 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 憲兵
- 浦和地区憲兵隊
- 太平洋戦争(1941~1945)
- 浦和-さいたま市-埼玉県
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000052559