レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/5/15
- 登録日時
- 2018/07/28 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000648
- 質問
-
未解決
【井上友一の出生地について】 井上友一について調べている。『井上明府遺稿』(118573230)p.6「明治四年 四月十日、金澤市馬場五番町に生まる。盛重氏の長男なり。」p.9「二十三年、東京の帝國大学に入り」とある。
①井上友一の生家は馬場5番町のどの辺りか。
②井上友一が明治23年に上京するまでに、浅野川の洪水が明治7年、9年、11年にあったが、川があふれて浸水した範囲を知りたい。
- 回答
-
〇井上友一について
『石川県人物・人材情報リスト 2017』(113573194)p.30
内務官僚、東京府知事であった人物で、生没年月日は「明治4年(1871)4月10日~大正8年(1919)6月12日」とある。
『ふるさと人物伝』(118527452)p.362「加賀藩士族の家に生まれた」、年表に「1877 金沢の東馬場小学校に入学」と記述がある。
①『金沢町名帳 金沢市図書館叢書 1』(119585450)p.399「【36】-卯辰町・森下町」地図の左端に「馬場五番町」の表記がある。しかし、『金沢町絵図 金沢市図書館叢書 2』(119618551)p.347-358には、浅野川大橋から続く通りの卯辰町、森下町しか掲載されていないため、馬場5番町の具体的な地図や絵図はわからなかった。
『加賀藩士人別帳 藩末由緒書目録 上巻』(119607306)p.17に父親である井上盛重の項目があり、秩禄は130石、檀那寺は松月寺とある。松月寺の所在地は、『全国寺院大鑑 下巻』(118382355)p.1072によると金沢市寺町5-5-22。質問者は先に近世史料館で井上盛重の由緒書を閲覧しており、手掛かりは得られなかったとのこと。
「金沢市立玉川図書館近世史料館 所蔵文書データベース」で「金沢町絵図」と検索すると、明治初年に作成された『金沢町絵図(約1/6400)』が該当した。オープンデータをダウンロードして馬場5番町付近に「井上」という表記がないか確認したが、見つからなかった。
②『石川県災異誌 1993』(119866371)p.82-83の災害記事に洪水の記録があり、、被災人数や戸数、増水量がわかるが、浸水範囲はわからない。『石川県災異誌 1961』(119871602)、『石川県災異誌 [1971]』(119565574)も同様。
引用元の「成瀬日記」の閲覧を希望されたが、当館には所蔵がなく、石川県立図書館横断検索で金沢大学附属図書館の『成瀬日記修復の記録』1件が該当した。後でGoogleで「成瀬 日記」と検索したところ、「成瀬正居日記」というキーワードが見つかったので、改めて横断検索したところ、金沢大学附属図書館が『成瀬正居日記』をマイクロフィルムで所蔵していることがわかった。
<追記>
生家の所在地はわからなかったが、井上友一に関する以下の論文の情報提供を受けた。
「井上友一研究-1-」〔含 年譜〕
右田 紀久恵
『社会問題研究』 42(1), p37-52, 1992-10
【url】http://doi.org/10.24729/00003503
「井上友一研究-2-」
右田 紀久恵
『社会問題研究』 42(2), p19-45, 1993-03
【URL】http://doi.org/10.24729/00003496
「井上友一研究-3-」
右田 紀久恵
『社会問題研究』 43(2), p1-19, 1994-03
【URL】http://doi.org/10.24729/00003466
「もうひとりの井上友一 : 救済局の夢 (玉井金五教授退任記念号)」
木下 順
『経済学雑誌』 115(3), 19-43, 2015-02
【URL】https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/G0000438repository_KJ00009850679
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000239675