レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年08月22日
- 登録日時
- 2014/08/22 15:31
- 更新日時
- 2014/11/29 10:55
- 管理番号
- 長野市立長野-14-013
- 質問
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未解決
江戸時代末期(幕末)安茂里の清兵衛という人物についての資料を探している。
①学者をしていた。地主もやっていた。
②象山先生に教えを受けていた。
③今の姓は西村(当時は姓をもたなかったのでは)
- 回答
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広報誌に載っていた地区の歴史のようなコーナーで該当の人物の名前を発見、『安茂里史』に善光寺高張の由来とされている平柴地区に伝わる話にそれらしき人の項を発見したのでご案内した。
しかし広報誌には「清兵衛」となっていたが、『安茂里史』では市平という名前で載っており、なぜ名前が違ってしまっているのかは分からなかった。
- 回答プロセス
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人物事典等当たってみたがめぼしい資料が見当たらず。ネットで「清兵衛」「安茂里」「幕末」ないし「江戸末期」「清兵衛」「西村清兵衛」をランダムに入れて検索するもなし。
佐久間象山に教えを受けたという事らしかったので『象山全集』の門人録を当たるもなし。
その後その地区で平成24年9月発行された広報誌「安茂里地区住民自治協議会だより 16号」に、地区の歴史として紹介された文に該当人物らしき名前を発見。
http://www.amori.jp/ <最終確認:2014年11月5日>
そこには平柴地区の歴史として、「善光寺の窮状に際し三輪村、小柴見村の人々が再三会議を開いたが打開策が見つからず、そこに弥勒寺の三人、西村直次郎、藤原梅吉、西村清兵衛ら三人が江戸城に直訴を申し出て、通常捕らえられるはずのところをその直訴が受け入れられた。その業績を称えて提灯を掲げている」とあった。
善光寺関連という事で善光寺関係の方も当たったが見当たらず。
『安茂里史』のp196、「平柴村と善光寺」の善光寺高張の由来の項で上記事項に関する記述を発見した。
しかし、江戸城に直訴に行ったという三人の名前が、「直次郎・梅吉・市平」となっており、広報紙で発見した記述とは異なっていた。その違いについてもさらに資料を探したが発見できなかった。(この安茂里史の中でも言い伝えとされている事柄の為、それらしい資料があるかも確たるものではない)
①②の確証たる資料も掴めなかったが、この上記の言い伝えられているのが、善光寺領の配置換えが起こった年度、松代藩主幸貫の時代であろうとされている。幸貫は佐久間象山を登用した事とあるので、時代背景的には間違っていないが、それ以上は分からなかった。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『安茂里史』 安茂里史編纂委員会/編 長野:安茂里史刊行会 1995.11 <N213 ア> (P196)
- 『長野市誌 第8巻 』長野市誌編さん委員会/編集 長野市 1997.10 (p666 p683)
- 『象山全集 巻1~5 贈訂 復刻』佐久間 象山/著 信濃毎日新聞 1975.01
- 『長野市史考』 小林 計一郎/著 吉川弘文館 1969.04 <N213 コ> (P296)
- キーワード
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- 善光寺 安茂里 平柴 清兵衛
- 高張 提灯
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000158729