レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2011/02/04 16:18
- 更新日時
- 2011/11/30 15:23
- 管理番号
- 相市-H22-015
- 質問
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未解決
明治中期に緑区大島にあったカトリック教会(プロテスタント教会)の設立及び閉鎖年月日を知りたい。また所在地も知りたい。
- 回答
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教会の所在地や設置・閉鎖年月日に関する記述のある資料が見つけられなかったため、参考までに今回の調査で教会に関する記述あった資料をご案内した。詳細は回答プロセスにもあり。
●『相模原市年表』 P58, P64
●『郷土相模原 第12集 郷土相模原とキリスト教』 P17~P23
●『明治期 多摩のキリスト教』 P11・P12・P31~P33
なお、当館では未所蔵ですが、調べた資料の中で紹介されている文献があります。参考になさってください。
●『カトリック立川教会25年のあゆみ』(カトリック立川協会発行)
●『八王子教会百年』(カトリック教会百年記念誌編集委員会/編)
- 回答プロセス
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まず、当館所蔵の郷土資料[K]の書架を(相模原市内[K1]を中心に)直接探す。
○『相模原市史 第6巻』 相模原教育委員会/編 〔K1-21・s16460859〕
大島村に関する明治期の資料を調べたが記述なし。
○『横浜教会百年史』 日本パブテスト横浜教会/編 1981 〔K2-19・s01305366〕
高座群に係わる記述なし。
○『おおさわ風土記』 おおさわ風土記刊行委員会/編 〔K1-29・s12314142〕
大島村の属している地域の資料だが教会に関する記述なし。
○『相模原市年表』 〔K1-21・s01249010〕
P58 明治8年にミス・サンズが上溝宿で伝道を試みるとの記述あり。
P64 明治19年に上溝の鈴木瓢作の屋敷内に上溝巡礼教会を開いたとの記述あり。
○『郷土相模原 第12集』 「郷土相模原とキリスト教」 相模原郷土懇話会/編 〔K1-20・s22655153〕
P17~P23にミス・サンズの記述があり、「相模原市年表」の記述と一致することがわかった。
このことから、このミス・サンズはパブテスト派であり、 プロテスタントであることがわかる。
また、ミス・サンズは伝道集会を大島、田名などの近隣地域で行ったと記載されているが、教会の有無は記述なし。
○『明治期 多摩のキリスト教』 沼 謙吉/著 法政大学多摩地域社会研究センター 2000 〔K9-19・s17149287〕
P11・P12・P13~P33 に砂川村(現在の立川市内)にカトリックが伝播しており、後にこの地域の受持ちとなった
テストヴィト神父が、 明治13年に高座群大島に布教所を設けたとの記述あり。
また、同書の「メイラン神父時代の到来」の中で、「明治25年(1852)10月、新しく八王子小教区区域が設定され、
神奈川県下の三多摩・津久井郡・愛甲郡、それに高座郡の一部と埼玉県の全てが包含された。」といった記述あり。
これらのことから、大島村にはプロテスタント(パブテスト派)とカトリックの両方の教派が伝道されたことはわかった。しかし天主公教会の存在は確認できず、メイラン神父時代の布教所がどこに設置されたのかも不明。
念のため、現在の大島地域における教会の有無、キリスト教系の学校や幼稚園、福祉施設などを地図であたったが、それらしいものは見つけられなかった。上溝地域には現在教会があり、日本キリスト教会上溝教会(相模原市中央区上溝7-9-13)というが、所在地は「久保」という地域ではない。
以上の調査で、協会の所在地や設置・閉鎖年月日に関する記述のある資料は見つけられなかったため、参考までに今回の調査で協会に関する記述のあった資料をご案内した。
●『相模原市年表』〔K1-21・s01249010〕 P58, P64
●『郷土相模原 第12集 郷土相模原とキリスト教』 相模原郷土懇話会/編 〔K1-20・s22655153〕 P17~P23
●『明治期 多摩のキリスト教』 沼 謙吉/著 法政大学多摩地域社会研究センター 2000 〔K9-19・s217149287〕
P11・P12・P13~P33
当館には所蔵がありませんが、調べた資料の中で紹介されている文献があります。参考になさってください。
●『カトリック立川教会 25年のあゆみ』(カトリック立川協会発行)
●『八王子教会百年』 (カトリック教会百年記念誌編集委員会/編)
※〔 〕内は当館の請求記号及び資料コード(S)です。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
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- 教会
- キリスト教
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000077633