レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/08/16
- 登録日時
- 2015/03/18 00:30
- 更新日時
- 2015/11/28 14:27
- 管理番号
- 0000001208
- 質問
-
未解決
中国で戦死した曽祖父の所属部隊が知りたい。自分で調べて分かっていることは以下のとおり。
1.昭和13年4月14日、山西省祁県西園城舗付近で戦死
2.北國新聞の戦死発表では伊藤部隊に所属となっている
3.昭和14年12月に届いた慰霊祭に関する手紙には、部隊は昭和14年12月に富山県城端兵営に帰還し、慰霊祭は富山県の城端別院にて行なう旨書かれていた。又、差出人は市川大佐となっていた。
- 回答
-
(1)昭和13年3月30日に編成された「北支那方面郡戦闘序列」(『帝国陸軍編制総覧 第1巻』p499~509)では、以下の師団等が北支地域に配備されていたことがわかります。
・第百十四師団(宇都宮)
・第十四師団(宇都宮)
・第二十師団(龍山)
・第百九師団(金沢)
・独立混成第三旅団(仙台)
・独立混成第四旅団(敦賀)
・第十六師団(京都)
・第五旅団(広島)
・第十師団(姫路)
・独立混成第五旅団(水戸)
・臨時航空兵団
(2)上記資料には、師団長・連隊長・大隊長名等が記載されていますが、「伊藤」という名前の隊長は見えません。また、上記の戦闘序列の詳しい兵力配備に関する資料は見つかりません。
(3)当館所蔵の『金沢第百九師団担架兵村井多次中国山西省出征日記』(村井 多次著 村井多次写 1937-1939)
を確認しましたが、日記の著者は、山西省太原に着任し、昭和14年4月広島に上陸して復員しており、城端での慰霊祭については言及されていません。
(4)『帝国陸軍編制総覧 第1巻』p503によりますと、第百九師団の復員完了は昭和14年12月24日で、第百九師団の下に歩兵第六十九連隊(富山)があることがわかります。
(5)以上より、曽祖父様が歩兵第六十九連隊に所属されていた可能性はあると思います。富山県の連隊や城端での法要につきましては、富山県の図書館様のほうが詳しいかと思いますので別途お問合せいただければと思います。よろしくお願い申し上げます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 国防.軍事 (39 9版)
- 参考資料
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- 1 帝国陸軍編制総覧 第1巻 森松/俊夫?執筆 外山/操?執筆 芙蓉書房出版 1993.11 396.1/5/1
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000169255