レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年08月26日
- 登録日時
- 2018/08/26 17:40
- 更新日時
- 2022/03/29 15:31
- 管理番号
- ひがひろ-00078
- 質問
-
解決
「中の垰隧道(なかのたおずいどう)」と、それをつくった沖田嘉一について知りたい。
- 回答
-
①『東広島の歴史事典』東広島郷土史研究会/編 P.57
「沖田嘉市 おきたかいち 西条町柏原地区では深道池の池掛り50町歩(70戸)は池が容易に満水にならない為、旱ばつの年には灌漑用水が不足し困っていた。特に1929年(昭和4)の旱ばつでは、35町歩の田の稲は枯死して無収穫、他は半作以下という惨憺たる有様であった。これを解消するには小田山(こだやま)より深道池に水を引き込む必要があったが、この間の山は岩盤であり、当時の土木技術ではとうてい完成はおぼつかなかった。沖田老は独力で鷹巣山にトンネルを掘り、深道池に水を引く決心をし、家族に1日1升の米の提供を頼み、中野峠の地権問題を解決し工事用の道具を準備して、1927年(同2)3月25日工事に着手した。9尺2間の仮小屋を作り、念仏を唱えながら3年間で約30mのトンネルを掘り進んだ。1929年(同4)に地域の人がこの工事に加わり、11月30日に工費2700円の巨額を投じ、1930年(同5)の8月15日、巾90cm、高さ1.2m、約327mのトンネルが完成した。稲荷神社に頌徳碑建立。」とある。
②『わたしたちの東広島市 平成28年度版』小学校社会科副読本 山口 隆/編者、高岡 紀子/編者、中川 隆/編者、中岡 正弘/編者、京谷 志穂/編者、森田 聡/編者 P.87-94
「(前略)沖田嘉市さんの決意 沖田嘉市さん(1873年~1939年)は、みなさんが通う小学校がはじめてできたころ(今から140年ぐらい前)に生まれました。わかいころは、工事のぎじゅつを学ぶためにアメリカにわたったこともあったそうです。1926(大正15年)は、大変な日照りが続きました。柏原地区では、水不足で田植えもできないほどでした。沖田さんは、水のなくなった深道池を見て、「小田山川の水を深道池に引くずい道をほる工事をどうしてもしなくてはならない。自分ののこりの命をこの工事にささげよう。」とかたく決意したそうです。その時、沖田嘉一さんは53才でした。(中略)<深道池に水が流れた>1930(昭和5)年8月15日、ついに中の峠ずい道は完成しました。はじめは反対していた人も、大変はずかしがって「沖田嘉市さんは、昭和の禅海だ。」と言ってほめて称えたそうです。ずい道工事を終えた沖田さんは、郷田小学校に続く道を広くする工事にとりかかりましたが、1939(昭和14)年5月、その工事のと中でなくなりました。66才でした。中の峠ずい道が完成したことで、深道池の水はいつも満たされるようになりました。柏原の人たちの沖田さんへの感謝の気持ちは強く、のちに石碑をたてたり、盆おどり歌に読みこんだりして、沖田さんの功績を今に伝えています。(以下略)」とある。
※資料「郷田盆おどり歌」
※年表「中の峠ずい道ができるまで」
※読み物資料「沖田嘉市さんと柏原の米づくり─小玉正徳さんの話から─」
③『西条町誌』西条町誌編纂室/編纂 P.660
「土肥次郎撰並書 (市之畑建立) 沖田嘉市翁之碑
翁は資性温厚篤實にして特に公共事業に率先挺身し、常に世人の敬慕せし處なり、(中略)昭和二年同區沖田嘉市翁が獨力再び之を計畫起工し百八十間という墜道工事を昭和五年八月完成に導き區民の愁眉を開くに至らしめたるものなり此工事完成に至る迄の翁の苦心の一端を記して後世に傳へんとす。(以下略)」とある。
※年表(P.777)
④『東広島市の文化財』東広島市教育委員会/編集 P.69
「(前略)水路の延長は約1.5kmで、東側の小田山川から中の峠を越えて深道池に通じています。(中略)隧道は、全長327m、幅員0.9m、高さ1~1.2mを測る素掘りのものです。昭和18(1943)年に改修された南側坑口は、両脇に柱状の装飾を持たない鉄筋コンクリート製で、線で円弧アーチを表現しています。また、その内側は欠円アーチ状にコンクリートを打っています。当時は坑口のアーチを石積みやレンガ積みで行ったものが多い中で、戦後に普及するコンクリート工法を早くから採用しており、意匠的にも珍しいものです。農業用水路として、現在も地域の人たちによって護られています。」とある。
⑤『西条地歴ウォーク』都市と農村が出会う街“西条”を歩こう 横川 知司/編集、熊原 康博/編集 P.030-033
「なぜ沖田嘉市はトンネルを掘ったのか?」というタイトルで熊原 康博氏の研究報告が載せられている。「水不足に悩む理由」「中の峠隧道の意義」「探検!幻の水路」「水を田に届ける努力」の4項目から成り、写真、地図、グラフも用いている。トンネルに関する研究文が主。
⑥『中国新聞』2000,2,19 31面
「昭和版「青の洞門」地元の宝 鉄筋アーチに高い評価 東広島の「中の峠隧道」国登録有形文化財答申」 東広島市西条町郷曽の農業用水路「中の峠(たお)隧道(ずいどう)」が十八日、国の登録有形文化財に答申された。日照りに悩む農家のため、地元の農民が山の岩盤をコツコツと掘り続けて貫通した昭和版「青の洞門」と言われる三百二十七メートルのトンネルの水路である。(中略)登録有形文化財への答申は、隧道のアーチ部分に当時の主流だった石やれんがを用いず、鉄筋コンクリート製としたことなどが評価された。市教委文化課は「地元の人が心血を注いで造った水路。保護策を練っていきたい」と話している。」とある。
⑦他資料
・リーフレット『東広島市の近代化遺産 国登録有形文化財』発行/東広島市教育委員会
・『図説東広島・竹原・呉の歴史』広島県の歴史シリーズ 土井 作治/監修、太田 雅慶/[ほか]編集委員 P.210-211
・『たった一人の大きな力』蓮見 太郎/著 P.29
・『東広島市「くらしのガイド」2008』国際学術研究都市 東広島市/編 P.16
・地域情報紙『プレスネット 2008年(平成20年)4月4日』発行所/株式会社プレスネット本社 P.7
- 回答プロセス
-
同じ質問を受けたことのあるスタッフと、質問者が「孫の小学校で配られる資料で見た」と言っていたことから、ADEACで公開されている小学校社会科副読本『わたしたちの東広島市』を開き、目次検索。「中の垰ずい道」で項目あり。
また、『西条町誌』に碑文として「沖田嘉市翁之碑」の記載があり、その功績が記されている。
東広島市教育委員会発行『東広島市の近代化遺産 国登録有形文化財』リーフレットに中の峠隧道の項目あり。『東広島市の文化財』のリライトではないかと思われる。
後日、他の資料も検索し、該当の記述があるものを調査。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 地理.地誌.紀行 (29)
- 歴史.世界史.文化史 (20)
- 伝記 (28)
- 参考資料
-
-
東広島郷土史研究会 編 , 東広島郷土史研究会. 東広島の歴史事典. 東広島郷土史研究会, 1997.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002665839-00 , ISBN 4874404618 -
わたしたちの東広島市 小学校社会科副読本 平成28年度版 小学校3・4学年用. 東広島市教育委員会, 2016.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000094-I000029652-00 -
西条町誌編纂室 編 , 西条町 (広島県). 西条町誌. 西条町, 1971.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001210675-00 -
東広島市教育委員会(文化課)編集 , 東広島市教育委員会. 東広島市の文化財. 東広島市教育委員会, 2000.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I002714533-00 -
横川知司, 熊原康博編 , 横川, 知司 , 熊原, 康博. 西条地歴ウォーク. レタープレス, 2020.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I012203953-00 , ISBN 9784904090336 -
土井作治 監修 , 太田雅慶 [ほか]編 , 土井, 作治, 1930- , 太田, 雅慶, 1926-. 図説東広島・竹原・呉の歴史. 郷土出版社, 2001. (広島県の歴史シリーズ)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003027135-00 , ISBN 4876701644 -
蓮見太郎 著 , 蓮見, 太郎. たった一人の大きな力. 宝島社, 2008.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009367509-00 , ISBN 9784796661911
-
東広島郷土史研究会 編 , 東広島郷土史研究会. 東広島の歴史事典. 東広島郷土史研究会, 1997.
- キーワード
-
- 沖田嘉一
- 中の垰隧道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000241288