レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2004/07/20
- 登録日時
- 2005/02/17 02:17
- 更新日時
- 2010/12/01 10:56
- 管理番号
- 埼浦-2004-026
- 質問
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解決
見沼通船堀の船割役として差配を行った鈴木家について知りたい。家柄、家系、行った事業、暮らしぶりなど。
- 回答
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以下の資料を紹介する。
『見沼代用水沿革史』(見沼代用水土地改良区編 見沼代用水土地改良区 1957)p1097-1138
『見沼土地改良区史 本編』(見沼土地改良区 1988)p865~
『見沼土地改良区史 資料編』(見沼土地改良区 1988)p615
『見沼通船堀』p61-62、p66-68
『浦和市史 通史編2』(浦和市総務部市史編さん室編 浦和市 1988)p423~
『浦和市史調査報告書』(浦和市総務部市史編さん室編 浦和市総務部市史編さん室 1982)p7~
『浦和市史研究』(浦和市総務部行政資料室編 浦和市総務部行政資料室)p27、p33(系図あり)
『見沼通船と小山田与清』(沼沢喬著 近代文芸社 1995)p40~
- 回答プロセス
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見沼通船堀は1731年に完成し、以後200年にわたり江戸との流通の水路になったものとのこと。鈴木家住宅は昭和57年に見沼通船堀と共に国指定史跡に指定。
以下の資料には家系についての記載なし。
『埼玉県人物誌』、『浦和の人物誌』、『埼玉縣名士鑑』、『浦和市史 通史編2』、『郷土をつくる人々』、『見沼田んぼを歩く』、『埼玉大百科事典 3』、『埼玉県誌 上』、『奉行井澤彌惣兵衛為永の事蹟』、『奉行井澤彌惣兵衛為永』
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『見沼代用水沿革史』 見沼代用水土地改良区 1957
- 『見沼土地改良区史 本編・資料編』 見沼土地改良区 1988
- 『見沼通船堀』
- 『浦和市史 通史編2』 浦和市 1988
- 『浦和市史調査報告書 』
- 『浦和市史研究 』
- 『見沼通船と小山田与清』 近代文芸社 1995
- キーワード
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- 鈴木家-さいたま市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000020280