レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/12/04
- 登録日時
- 2011/03/22 02:13
- 更新日時
- 2011/06/06 11:21
- 管理番号
- 埼熊-2010-101
- 質問
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解決
戦国時代、鉢形城(現在の埼玉県寄居町にあった)三の丸にいた秩父孫二郎(孫次郎)についてかかれている資料を見たい。
- 回答
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秩父孫二郎は、生没年不詳。戦国時代の武士。鉢形城(寄居町)城主北条氏邦の家臣。
(『埼玉人物事典』より)
資料によって「孫二郎」「孫次郎」と表記が異なっている。記述のあるものとして以下のものを紹介する。
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
p528-529(10行)「秩父孫二郎」の項あり。
『埼玉県立博物館紀要 5』(埼玉県立博物館 1979)
p68-81「彦久保家蔵秩父重国所用 関東五枚胴具足について」加藤功著
彦久保氏が所有する、秩父孫次郎が使用した甲冑の検討が中心だが、孫次郎本人についての考察もあり。
『新編武蔵風土記稿 [第3期]12』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1977)
p228-233「阿熊村」(巻之二百五十八)孫次郎について、彦久保家所蔵の武器、古文書、家系図の記述あり。
『花園村史』(花園村史編纂委員会編 花園村 1970)
p69-78「2 荒川衆・小前田衆などと北条氏の軍制」の章中、p72「装備」の節に秩父孫二郎と秩父衆についての記述あり。
p77平時の諸役にも軍制が使われた例として「第9表 秩父曲輪掃除普請分担表」と掃除掟の印判状の規定に「孫次郎」の名あり。
『埼玉叢書 1』(稲村坦元編 柴田常恵編 国書刊行会 1970)
p115「鳥方 秩父孫十郎 皆野圓福寺」とあり。
p119「鳥方城家族 秩父孫十郎居」とあり。
p246-248阿熊村(含秩父氏系図略)の記述中p247に「重國、同 孫二郎」とあり。
『埼玉叢書 4』(稲村坦元編 国書刊行会 1971)
p241-244「秩父家系彦久保氏系図」〈重國〉の項(p243)に「秩父孫次郎 母者武田典厩ノ女」とあり。
『吉田町史』(吉田町教育委員会編 吉田町 1982)
p100-124「鉢形城北条氏支配と吉田」、p119「秩父衆と彦久保氏」の節に秩父孫二郎についての記述あり。
また、文中に既出③の資料が引用されている。
『鉢形北條領御調書』(大[ノ]鴻風著 大[ノ]鴻風 1983)
p3-4「鉢形北条氏の誕生」の名倉系譜に「孫次郎重国」あり。
『寄居町史 通史編』(寄居町教育委員会 1986)
p310-319「家臣団の構成」に秩父孫二郎についての記述あり。
『鉢形城跡と郷土文化』(中里清著 寄居町公民館鉢形分館 1968)
p59「城内居住の家臣たち」の章に、秩父孫十郎について5行程度の記述あり。
また、「分限録(鉢形北條家臣分限録)には、孫次郎と記載されてあるが、これは同一人であるか、別人なるのか判然としない。」とある。(ただしp7「鉢形北条家臣分限録」では「孫十郎」となっている。)
- 回答プロセス
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埼玉県の人物に関する事典を確認する。
《埼玉雑索》を検索する。
秩父地方の自治体史や鉢形城関連の資料を確認する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
- 『埼玉県立博物館紀要 5』(埼玉県立博物館 1979)
- 『新編武蔵風土記稿 [第3期]12』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1977)
- 『花園村史』(花園村史編纂委員会編 花園村 1970)
- 『埼玉叢書 1』(稲村坦元編 柴田常恵編 国書刊行会 1970)
- 『埼玉叢書 4』(稲村坦元編 国書刊行会 1971)
- 『吉田町史』(吉田町教育委員会編 吉田町 1982)
- 『鉢形北條領御調書』(大[ノ]鴻風著 大[ノ]鴻風 1983)
- 『寄居町史 通史編』(寄居町教育委員会 1986)
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『鉢形城跡と郷土文化』(中里清著 寄居町公民館鉢形分館 1968)
- キーワード
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- 秩父 孫二郎(チチブ マゴジロウ)
- 秩父 孫次郎(チチブ マゴジロウ)
- 鉢形城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土;人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000082492