レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年08月27日
- 登録日時
- 2013/11/08 15:34
- 更新日時
- 2013/12/04 15:46
- 管理番号
- 中央-1-00621
- 質問
-
解決
玉蔵院が1780年に再建された根拠となる資料があるか知りたい。
- 回答
-
玉蔵院の再建については、次の資料があった。
(1)『玉蔵院 浦和歴史文化叢書』 青木 義脩/著 浦和市郷土文化会 1977
p.16 “元禄十二年(一六九九)十二月十二日の夜、玉蔵院の伽藍は、火災にあい一宇も残さずに焼け落ちたという”との記載あり。
“本堂の再建は、すぐ手がつけられ、(略)元禄十四年には上棟している。”との記載あり。
p.17 “本堂の南に地蔵堂がある(略)「安永九年(一七八〇)二月大吉日(略)」の墨書銘があり、この仏堂の建立年代を伝えている”との記載あり。
p.30~ 年表
元禄十二年 一六九九 火災で諸堂を全焼する
元禄十四年 一七〇一 本堂を再建する
安永九年 一七八〇 地蔵堂を再建する(2)『玉蔵院 浦和歴史文化叢書』 浦和郷土文化会/編 浦和市郷土文化会 2002
上記(1)の改訂版
p.28~ 玉蔵院略年表
元禄十二年 一六九九 火災で諸堂を全焼する
元禄十四年 一七〇一 本堂を再建する
宝永七年 一七一〇 本尊大日如来像を再興する
安永九年 一七八〇 地蔵堂再建する(3)『浦和市文化財調査報告書 第31集』 浦和市教育委員会/編 浦和市教育委員会 1987
p.2 “玉蔵院世代帳によれば、二十三世快道(享保三年・一八〇三~文化六年・一八〇九住時)の代二に、表門再建とあり(略)”との記載あり。(4)『浦和市史 通史編2』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1988
p.91 “元禄十二年(一六九九)十二月十二日の夜、玉蔵院の大伽藍は、一宇残らず消失した。
その再建は元禄十四年六月にまず客殿(現本堂)が竣工し、諸堂が次々と復興されていった。また、本尊は、宝永七年(一七一〇)十一月に造立された。”との記載あり。(5)『わがまち浦和 地域別案内』 浦和市総務部行政資料室/編集 浦和市 1992
p.24 “元禄十二年(一六九九)十二月出火、一宇も残さず焼失した。本堂(客殿)は同十四年に復興、地蔵堂は安永九年(一七八〇)に建立、表門は四脚門で文化年間頃に二十三快道によって建立された”との記載あり。
p.11~ 浦和略年表
p.14 1699 元禄12年 玉蔵院伽藍全焼
1780 安永9年 玉蔵院地蔵堂建立(6)『文化財を訪ねて 総集編No.1~No.32 浦和市広報市民と市政連載』 浦和市企画部広報課/編 浦和市 1978
p.13 玉蔵院
本堂→元禄十四年に建立
地蔵堂→墨書銘により、安永九年(1780)に建立以上より、1780年に再建されたのは、玉蔵院地蔵堂である。
- 回答プロセス
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・玉蔵院に関する市内所蔵資料を見てみる。
(1)『玉蔵院 浦和歴史文化叢書』 青木 義脩/著 浦和市郷土文化会 1977
p.16 “元禄十二年(一六九九)十二月十二日の夜、玉蔵院の伽藍は、火災にあい一宇も残さずに焼け落ちたという”との記載あり。
“本堂の再建は、すぐ手がつけられ、(略)元禄十四年には上棟している。”との記載あり。
p.17 “本堂の南に地蔵堂がある(略)「安永九年(一七八〇)二月大吉日(略)」の墨書銘があり、この仏堂の建立年代を伝えている”との記載あり。
p.30~ 年表
元禄十二年 一六九九 火災で諸堂を全焼する
元禄十四年 一七〇一 本堂を再建する
安永九年 一七八〇 地蔵堂を再建する(2)『玉蔵院 浦和歴史文化叢書』 浦和郷土文化会/編 浦和市郷土文化会 2002
上記(1)の改訂版
p.28~ 玉蔵院略年表
元禄十二年 一六九九 火災で諸堂を全焼する
元禄十四年 一七〇一 本堂を再建する
宝永七年 一七一〇 本尊大日如来像を再興する
安永九年 一七八〇 地蔵堂再建する
・旧浦和市の文化財調査報告書、浦和市史などを見てみる。
(3)『浦和市文化財調査報告書 第31集』 浦和市教育委員会/編 浦和市教育委員会 1987
p.2 “玉蔵院世代帳によれば、二十三世快道(享保三年・一八〇三~文化六年・一八〇九住時)の代二に、表門再建とあり(略)”との記載あり。(4)『浦和市史 通史編2』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1988
p.91 “元禄十二年(一六九九)十二月十二日の夜、玉蔵院の大伽藍は、一宇残らず消失した。
その再建は元禄十四年六月にまず客殿(現本堂)が竣工し、諸堂が次々と復興されていった。また、本尊は、宝永七年(一七一〇)十一月に造立された。”との記載あり。(5)『わがまち浦和 地域別案内』 浦和市総務部行政資料室/編集 浦和市 1992
p.24 “元禄十二年(一六九九)十二月出火、一宇も残さず焼失した。本堂(客殿)は同十四年に復興、地蔵堂は安永九年(一七八〇)に建立、表門は四脚門で文化年間頃に二十三快道によって建立された”との記載あり。
p.11~ 浦和略年表
p.14 1699 元禄12年 玉蔵院伽藍全焼
1780 安永9年 玉蔵院地蔵堂建立(6)『文化財を訪ねて 総集編No.1~No.32 浦和市広報市民と市政連載』 浦和市企画部広報課/編 浦和市 1978
p.13 玉蔵院
本堂→元禄十四年に建立
地蔵堂→墨書銘により、安永九年(1780)に建立
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 9版)
- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- さいたま市浦和区
- 玉蔵院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000140190