レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年04月12日
- 登録日時
- 2013/11/20 16:22
- 更新日時
- 2016/12/08 14:42
- 管理番号
- 2013-14
- 質問
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解決
宇和島の町医者・栗田俊丈とはどのような人物か。
- 回答
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【資料1】
p34 「栗田俊丈 御合力米七俵。 嘉永四年当時、栗田俊丈は城下の町医であったが、業績を評価され御合力米(医学研究のための費用)が支給されている。のちに三好周伯らと藩医に登用された。」
p38 「幕末(嘉永年間以後)、蘭学医学を学んだ町医達は、その中ですぐれた人材が登用されて藩医となった例がある。熊崎寛哉、栗田俊丈、三好周伯、布清恭(志賀天民)の四人である。」
【資料2】p414-432「嘉永四年分限帳」のp420下段・1行目に「御合力米七表 栗田俊丈」
【資料3】第一章第二節一「伊予諸藩の医家」の「宇和島藩」にも【資料2】の転記あり。
- 回答プロセス
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【資料1】に、嘉永4年(1851)の「分限帳」に栗田俊丈の名が記されているとあるので、翻刻資料である【資料2】を当たる。
以下記載なし
【資料4】
【資料5】p115-117 三好昌文/著「伊予の蘭学」
【資料6】p356-403
【資料7】p237-264
【資料8】
- 事前調査事項
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『宇和島・吉田旧記 5 前原巧山一代噺』(宇和島・吉田旧記刊行会 佐川印刷 1997年)p8に「前方辻井横丁栗田俊丈と云ふ医師」とある。
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『宇和島藩医学史』(宇和島市医師会医学史編集委員会/編集 宇和島市医師会 1998年)<当館請求記号K490/11>
- 【資料2】『家中由緒書 下』(近代史文庫宇和島研究会/編集・発行 1980年)<当館請求記号K252/16/3>
- 【資料3】『愛媛県史 社会経済6 社会』(愛媛県史編さん委員会/編集 愛媛県 1987年)<当館請求記号K200/31>
- 【資料4】『伊予の蘭学』(影山昇/著 青葉図書 1975年)<当館請求記号K402/2>
- 【資料5】「文化愛媛 第5号」(愛媛県文化振興財団 1983年)<当館請求記号K041/4/5>
- 【資料6】 『愛媛県教育史 前編』(愛媛県教育会/編輯・発行 1938年)<当館請求記号K372/3>
- 【資料7】『医界風土記 中国・四国篇』(日本医師会/編集 思文閣出版 1994年)<当館請求記号K490/6>
- 【資料8】『伊予の蘭学 近代科学の夜明け 平成9年度企画展』(愛媛県歴史文化博物館/編集・発行 1997年)<当館請求記号K402/3>
- キーワード
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- 栗田俊丈
- 前原巧山(まえはら こうざん)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000140803