レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20210204
- 登録日時
- 2021/07/06 00:30
- 更新日時
- 2021/10/08 13:59
- 管理番号
- 0401002719
- 質問
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解決
江戸時代後期、水不足で貧村だった砥川村の用水路作りに尽力した富田茂七(とみたもしち)を称えて(熊本県上益城郡)益城町に作られた富田茂七顕彰碑に、清浦奎吾の書で「既澤」という文字が書かれている。この言葉の出典や意味を知りたい。
- 回答
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『史記』の夏本紀に「雷夏既澤」という文字が記されていることを説明し、参考資料を紹介した。
意味は回答プロセス参照。
- 回答プロセス
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自館の漢和辞典等で「既澤」を調べるが、該当するものが見つからなかった。
Googleで「既澤」「漢文」と入れて検索すると以下のサイトが見つかった。
https://siki.kyukyodo.work/hongi/post-106.html (2021年7月現在)
①『史記』の「夏本紀」というキーワードを得たため、国立国会図書館サーチで「史記 夏本紀」で検索したところ『新釈漢文大系38』(明治書院)がヒット。
自館所蔵があったため内容を調査した。
p73~「夏本紀第二」中に「夏の禹」という人物の治水の功績に関する伝記が記載されており、p78に「濟河維沇州。九河既道、雷夏既澤、雍沮會同、桑土既蠶。」とあった。
【「濟河維沇州。九河既道、雷夏既澤、雍沮會同、桑土既蠶。」の部分について以下のように記載あり】
書き下し:「濟(せい)より川(か)までは惟(こ)れ沇州(えんしゅう)なり。九河(きゅうか)既(すで)に道(みちび)き、雷夏(らいか)既(すで)に澤(たく)となり、雍(よう)・沮(しょく)は會同(くわいどう)し、桑土(さうど)既(すで)に蠶(さん)す。」
通釈:済水と黄河の間の地が沇州である。ここでは(黄河の下流で洪水の難が一番甚だしかったが)九つの川がそれぞれの水路に従って流れるようになり、山東半島の西部に在る雷夏沢の西北の平地を流れる雍水と沮水は合して一つとなり、桑に適した土地は養蚕をいとなみ得るようになった。
語釈:「雷夏既沢」=雷夏沢は山東省の西部、河南省に近いところに在る。洪水で四方に横溢していた水が治まって、もとの沢に返った。
②「史記」に記載されていたので『史記の事典』(大修館書店,2002)の内容を確認。
p170「禹」の項に「黄河の治水に奔走した夏の聖天子」とあり。
念のため「雷夏」を漢和辞典で調査。
『大漢和辞典 巻十二』(大修館書店,1986)p38に「雷夏 澤の名。山東省濮縣の東南。[書、禹貢]雷夏既澤。」との記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 辞典 (813 10版)
- 作品集 (928)
- 中国 (222)
- 参考資料
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- 新釈漢文大系 38,明治書院,1973.2 (p.78:「雷夏既に澤となり」という言葉が出てくる|0116587007|/928/シ/(38))
- 史記の事典,青木 五郎/編著,大修館書店,2002.7 (p.170:【禹(う)】黄河の治水に奔走した夏の聖天子|0117816314|R/222/ア/)
- 全釈漢文大系 11,全釈漢文大系刊行会/編,集英社,1976年 (p.123|0111496337|/920.8/セ/)
- 大漢和辞典 巻12,諸橋 轍次/著,大修館書店,1986.2 (p.38:雷の中に【雷夏】とあり、その文中に「雷夏既澤」とあり。|0111989570|R/813.2/モ/)
- キーワード
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- 既澤
- 史記
- 尚書
- 禹
- 雷夏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- その他
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000301386