レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年06月10日
- 登録日時
- 2022/10/28 15:49
- 更新日時
- 2023/01/24 09:51
- 管理番号
- 遠野-2005-03
- 質問
-
解決
塩の道について知りたい。遠野から大槌の交通路
- 回答
-
駄賃付けによって海岸の塩を内陸に運び、食料と衣類を交換するという塩の道。遠野から大槌の交通路として遠野から界木峠を越えて和山、芳形、種戸坂、小槌、大槌と至る和山街道(大槌街道)があり、終着点は吉里吉里で、そこには南部藩内最大の豪商前川善兵衛の本店があった。
- 回答プロセス
-
〈所蔵資料からの調査〉
「遠野物語小辞典」p147「駄賃付け」の欄より、北上川の舟運と遠野を中心とした町を中継地として東海岸と西の宿場町を結び、各宿場に荷を分散して運ぶ浜上げの道といわれた駄賃付けの道との2つがあった。浜上げの道は、太古から江戸時代まで海岸の塩を内陸に運び、食料と衣類を交換するという塩の道であり江戸中期になると乾魚や塩魚を運ぶ五十集(いさば)の道として、いずれも明治時代になり馬車が出現するまで、駄賃付けにより荷は人馬で運ばれた。とあり塩の道について記されている。
「遠野物語小辞典」p104「小槌」の欄に遠野から旧大槌村へ至る道に、大槌街道がある。界木峠を越えて、和山・種戸・一渡・小槌・大槌という行程であった。遠野を立った駄賃付けは旧大槌村吉里吉里を終着点としていたが、ここには、江戸時代に南部藩内最大の豪商となった前川善兵衛の本店があり、駄賃付けはその倉庫に米雑穀をおさめて帰途には海産物を積んで戻ったのである。小槌はこの駄賃付けが泊まる木貸宿の並ぶ集落であった。とあり遠野から大槌の行程について記されている。
「大槌町史 下巻」p1311の駄賃付けの項に、「だんごづけ」と呼ばれ、馬子が駄馬に荷物をつけて各駅をたよりに往来したもので各地で活躍していた。(中略)大槌付近では大槌-種戸坂-和山-遠野コースのだんごが著名で数頭で一グループをなすのが普通だったらしい。とあり、駄賃付けの行程と規模が記されている。
「遠野上郷大槌町物語」p22と「図説岩手県の歴史」p170の図に大槌街道が描かれている。
「復刻版修正郷土誌」p234に遠野町ヨリの道路ハ本村(注:土淵村)中央ニ於テ東折シテ大槌街道トナリ、北スルモノハ小国街道トナル。とある。
「大槌町史 下巻」p1313に和山街道の項に「岩手県管轄地誌」によると正式には遠野街道とされているが、一般には和山街道と呼称してきており、遠野側からは大槌街道と呼んでいた。(中略)字城内にて浜街道より分岐し小槌川沿いに西行して種戸坂、芳形、和山を経て遠野へ通ずる。とある。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 東北地方 (212 8版)
- 交通史.事情 (682 8版)
- 参考資料
-
-
大槌町. 大槌町史 下巻. 岩手県大槌町役場, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036578724-00 -
野村純一 [ほか]編著 , 野村, 純一, 1935-2007. 遠野物語小事典. ぎょうせい, 1992.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002173636-00 , ISBN 4324030588 -
しおはまやすみ, 松橋暉男 著 , 塩浜, 方美, 1929- , 松橋, 暉男, 1931-. 遠野上郷大槌町物語 : 陸中海岸に秘められていた史実と伝承. あるちざん, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001456266-00 -
細井, 計, 1936-. 図説日本の歴史 3. 河出書房新社, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002448481-00 , ISBN 4309611036 - 鈴木 重男 編著. 修正郷土誌 復刻版. 遠野市教育委員会, 1998.
-
大槌町. 大槌町史 下巻. 岩手県大槌町役場, 1984.
- キーワード
-
- 大槌街道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000323162