レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180909
- 登録日時
- 2019/03/26 00:30
- 更新日時
- 2021/07/24 12:15
- 管理番号
- 中央-2018-33
- 質問
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解決
関東大震災以後、仮市場が設けられたという芝浦2号地・芝浦日の出町とはどこか。また、仮市場の規模を知りたい。
- 回答
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仮市場の場所は、資料1から資料3では日の出町としているが、資料4、5では芝浦二丁目としている。資料6の図51を見ると、日の出町と芝浦二丁目は点で接している位置関係である。また、図51では日の出町の北に金杉新濱町がある。よって、資料7から第2号埋立地が日の出町と分かる。資料8によると日の出町は現在の海岸2丁目になるので、芝浦二号地・芝浦日の出町は現在の港区海岸2丁目である。
仮市場の規模は、資料1、2から2,000坪。
資料1~資料8の掲載内容は次のとおり。
資料1の「第四章 市設卸売市場の開設 第一節 市設魚市場」p.435に「(前略)九月十七日、応急措置として芝浦埋立地の私有地二千坪を借り受け、テント張りの市場を急造し、さらに七百坪のバラック店舗を設け、これに魚河岸業者八百余名を収容して、営業した。」とある。また、〔山口米造手記〕(魚市場組合役員)によると、p.441に「(前略)その結果細川氏支配の日の出町で二千坪を貸してくれた。ここはサラ地であつたので、草を抜きとり場内に仮バラック十軒を建て、一戸に組合員十人共同で営業することとなつた。」とあり。
資料2「第四章 復興の気運 第二節 魚河岸の移転 2 震災前後の魚河岸」内の「日本橋から芝浦」(p.1273-1275)に、「(前略)芝浦日出町の二、〇〇〇坪を臨時市場敷地として、(中略)天幕一〇張、掘立小屋一〇棟を用意、(中略)九月十七日、予定どおり開場した(後略)」とあり。
資料3のp.62に写真が掲載されており、「芝浦日の出町の仮設魚市場。」とあり。
資料4のp.1に 「東京魚市場 取敢ず芝浦で」の記事に「(前略)取敢ず芝浦二丁目に天幕張りを設けて十七日から毎日午前七時から正午まで開市することになつた、」とあり。
資料5のp.2に 「魚市場は十七日から敷地は海軍造兵廠跡 芝浦で臨時開業する筈」の記事に「(前略)其の間は芝浦二丁目に臨じ魚市場を設け十七日から取敢ず開市する事となつた」とあり。
資料6の図52に、昭和5年の芝浦町二丁目(昭和9年の図51の地図の表記は芝浦二丁目)と日之出町の地図が掲載されている。
資料7に、「隅田川口改修」の件でp.402に「其位置及面積左ノ如シ」とあり、名称と位置と面積(坪)は「第二號 芝區金杉新濱町前 三六、〇〇〇」との記述がある。
資料8のp.611の「日出町<港区>」の項目に、「大正2年完成の隅田川口改良第1期工事による埋立地が日出町として起立、(中略)昭和11年海岸通2丁目となる。現行の海岸2丁目。」とあり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】東京都中央卸売市場史 上巻 / 東京都編 / 東京都 , 1958 <0967/ T998/ T4-1A>
- 【資料2】東京百年史 第4巻 / 東京百年史編集委員会編 / 東京都, 1972 <T/ 0・260/ 1/ G4>
- 【資料3】築地市場 クロニクル1603-2016 / 福地享子, 築地魚市場銀鱗会著 / 朝日新聞出版 , 2016.3 <T/ 675.5/ 5070/ 2016>
- 【資料4】朝日新聞 221号 (1923年9月) 9月16日 朝刊
- 【資料5】読売新聞 205号 (大正12年9月~10月) 9月16日 朝刊
- 【資料6】港区近代沿革図集 新橋・愛宕・虎ノ門・芝公園・芝大門・浜松町・海岸 / 港区立港郷土資料館編 / 港区立港郷土資料館 , 2009.3 / 増補版 <T/ 35・290/ 5014/ 4>
- 【資料7】東京市史稿 港湾篇 第5 / 東京市編 / 東京市 , 1927 <0920/ T727/ T2-8-5>
- 【資料8】角川日本地名大辞典 13 / 角川日本地名大辞典編纂委員会編 / 角川学芸出版 , 2009.8 <RT/ 290.1/ 5024/ 2009>
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000253719