レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022.1.13
- 登録日時
- 2022/01/10 17:47
- 更新日時
- 2023/03/25 14:38
- 管理番号
- 郷土27
- 質問
-
解決
なぜ瀧宮天満宮に菅原道真が祀られているのか。道真が讃岐国司として赴任中に住んでいた官舎があったからだというが、讃岐国府までかなりの距離があるがどうして滝宮に住んでいたのか。
- 回答
-
瀧宮天満宮の縁起について
『綾南町誌』 P.713,714に菅原道真が讃岐国司として在任中、龍燈院綾川寺住僧空澄と交流があり、道真太宰府配流の際に別れを交わし御装束と自画像を賜った。その後道真薨去の悲報を知った人々は悲しみ空澄の主唱により、道真国司時代の官舎跡に一祠を建立し、御装束と自画像を祀ったのが瀧宮天満宮の起源であるとの記載あり。
『讃岐人物風景1』 四国新聞社/編 大和学芸図書株式会社 1980.7
P.50,51 滝宮天満宮に伝わる道真ゆかりの宝物の由来の記載あり。道真が大宰府への左遷の折りに讃岐に立ち寄った時に、親しくしていた人々が会いに行ったが役人から許しがでなかった。そこで道真は海面に映った自分の姿を描いて、着ていた装束とともに形見として手渡した。この自画像は「水鏡之神像」といわれるもので2枚あり、滝宮天満宮に装束とともに宝物として残されており、もう一枚は高松市の中間天満宮(なかつまてんまんぐう)に伝わるということである。
『滝宮ばやし読本』 滝宮公民館運営協議会/編 綾川町立滝宮公民館/発行 2014.3 P.36,37
官舎が讃岐国府まで遠いとのことについて
『綾南町誌』P.133には「滝宮と有岡に道真の別館があった」との記載になっており、他資料を調べると道真の居館場所については諸説あるようである。滝宮に道真の居宅があったとしている資料が多数あるようではあるが『讃岐国府を探る』(香川埋蔵文化財センター 編/発行 20210.2)では江戸時代に出版された地誌の影響であろうとしている。また、国府内に国司などが居住した施設「館(たち)」があったとの記載があり、現在讃岐国府推定地は府中町とされているがその館の場所については特定できていないようである。『讃岐国府の時代』(香川県埋蔵文化財センター 編/発行 2011.3)第9章では、『菅家文草』に収められている菅原道真が讃岐守として在任中に詠んだ漢詩から国府の様子を読み取ることができるとある。国司館やこれに類する施設と思われる用語より、国府内にどのような施設があったかを推定している。P.142には国司館が城山(きやま)に近い場所であり、綾川沿いには国司館以外に別荘があったようであるとの記載がある。
その他の資料にも滝宮にあったのは道真の別館であるとうかがわれる記載が見られる。
『古今讃岐名勝図絵』P.469「有岡館跡」の項には「菅公御殿跡と言へり然れ共菅公は國府に居給ふ事明らなれは此所には下官の者来り居て折々には公も来り給ひて政を聞給へる所なるべし」と記載されてている。
『讃岐郷土読本』 讃岐郷土研究会/編 丸山学芸図書 1934.10
P.448~458 「讃岐國府廳跡」の記載あり。P.445には「府中町の天神」という土地は、時雨天神という神社を城山神社の境内へ移した跡がそう呼ばれるようになったとあり、この地はもと国司の官舎があり、菅公も赴任するとこの官舎に入ったことがあるので菅公が最も多く長く慕われていたため、天神の地名となったものかもしれない、とある。
以下の所蔵資料に記載あり。
『綾南町誌』 綾南町誌編纂委員会 編 綾南町 1998.3
『讃岐国府跡を探る』 香川埋蔵文化財センター 編/発行 20210.2
P.14 国府内の国司が居住した「館」についての記載あり。
P.34 江戸時代の歴史書や地誌における居館滝宮説についての記載あり。『玉藻集』『讃陽簪筆録(讃岐府志)』『南海治乱記』『翁嫗夜話』に滝宮に居館ありとなっているとある。
P.48,49 『菅家文草』に収録されている詩より国司館の場所を推定した説の記載あり。滝宮説の記述あり。
『讃岐国府の時代』 香川県埋蔵文化財センター 編/発行 2011.3
P.130からの第9章より『菅家文草』の詩より国府の施設を推定した記載あり。
『府中村史』元村長 栗林三郎 編 府中村史頒布会 1963.9 (当館所蔵なし、香川県立図書館所蔵資料)
P.451 国庁が一時滝宮にあったと説く説があるが謬見と思われ、菅公が着任して間もなく滝宮の風光がよいので館を建てた事は翁嫗夜話や讃岐史要に見る事である、との記載あり。
P.452 滝宮天満宮縁起についての記載あり。
『讃岐人物風景1』 四国新聞社 編 大和学芸図書株式会社 1980.7
P.48 有岡の丘の道真の別荘についての記載あり。
『古今讃岐名勝図絵』 梶原藍水/編 歴史図書社 1976.11
P.431,432 字内間にある「天神」(地名)についての記載に、菅公が城山に祈雨せられた徳を慕いここに社を建てて祀ったもので、この地には国司の官舎があり菅公もこの官舎に入っていたことがあって、この地名が残っているとある。
P.469 「菅公御殿跡」「有岡御殿」「有岡天神祠」についての記載あり。菅公御殿跡というが菅公は国府にいらっしゃったので、いつもは下官の役人がいて、菅公は時折訪れて政を聞いていたのであろうとしている。
記載のなかった資料
『讃岐の史話民話』 福家惣衛 著 上田書店 1968.9
『菅原道真』 滝川幸司 著 中央公論新社 2019.9
- 回答プロセス
-
館内資料中の記述を調べた。
瀧宮天満宮縁起をお伝えしたところ、道真居宅が国府まで遠いのはなぜかということになり町誌には別館という記載があったため、国府の居住施設がどこにあったのか調べた。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 四国地方 (218)
- 日本 (291)
- 参考資料
- キーワード
-
- 菅原道真
- 讃岐国司
- 讃岐国府
- 瀧宮天満宮
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000310411