レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/11/16
- 登録日時
- 2022/06/17 00:30
- 更新日時
- 2022/06/17 10:57
- 管理番号
- 所沢富岡-2022-003
- 質問
-
解決
明治には、日本で最初の電動のエレベーターが作られていたと聞いたのだが、そのエレベーターについて書かれた本はないか?
- 回答
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日本で最初の電動エレベーターが設置されたのは、明治二十三年十月に完成、十一月に開業した「凌雲閣」(東京・浅草)です。
凌雲閣のエレベーターは、警察当局の査察で安全装置が不十分と指摘されたため、7ヶ月後の明治二十四年五月に運転を停止、取り外されました。その後、凌雲閣は関東大震災で崩落したため、現存していません。
以下の資料に記載があります。
〇『日本なんでもはじめ』 泉欣七郎/共編 ナンバーワン 1985年
〇『身近なモノ事始め事典』 三浦基弘/著 東京堂出版 2010年
〇『浅草十二階』 細馬宏通/著 青土社 2001年
〇『浅草公園凌雲閣十二階』 佐藤健二/著 弘文堂 2016年
〇『浅草』 山田太一/編 岩波書店 2000年
〇『明治東京逸聞史 1』 森銑三/著 平凡社 1969年
〇『ニッポンの塔』 橋爪紳也/著 河出書房新社 2012年
〇『江戸東京学事典』 小木新造/編 三省堂 2003年
〇『明治ニュース事典 4』 明治ニュース事典編纂委員会/編集製作 毎日コミュニケーションズ 1984年
〇『図説明治事物起源事典』 湯本豪一 柏書房 1996年
〇『東京電灯株式会社開業五十年史』 東京電灯株式会社/編輯 東京電灯 1936年
- 回答プロセス
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1.所蔵資料の内容確認
〇『日本なんでもはじめ』 泉欣七郎/共編 ナンバーワン 1985年
p.47 「エレベーター」の項目あり
「日本にはじめて電動式エレベーターがあらわれたのは明治二三年(一八九〇)一一月一〇日のことで、通称“浅草の十二階”と呼ばれた「凌雲閣(りょううんかく)」にとりつけられた。これはアメリカのオーチス社からの輸入品で、二台の籠の上につけられた滑車を十五馬力のモーターつきベルトでまわすドライブ式のものであった。しかし、モーター音がうるさく、危険でもあるというので翌年五月に運転を中止した。」との記載あり
〇『身近なモノ事始め事典』 三浦基弘/著 東京堂出版 2010年
p.187-189 「エレベーターの原理」の項目あり
p.188-189 「日本初の電動エレベーターは、1890(明治23)年11月10日、アメリカ製のものが東京浅草の凌雲閣に設置され、世界の商品の販売と展望台を兼ねる12階建ての塔の1~8階を水圧式のエレベーターで結んだ。(中略)凌雲閣のエレベーターは警察当局の査察で安全装置が不十分であったため、7ヶ月後に取り外されてしまい、その建物も関東大震災で崩落した」との記載あり
△『事物珍起源』 荒俣宏/編 平凡社 1989年
p.24 「凌雲閣」の項目あり(『明治東京逸聞史 1』p.313-314からの引用)
「明治二十三年に出来上がった。始め八階までエレベートルで客を吊り上げたが、危険だというお達しがあって廃止した。」との記載あり
2.後日調査の追加事項
(1)所蔵資料の内容確認
〇『浅草十二階』 細馬宏通/著 青土社 2001年
p.23-52 「第1階 塔の眺め」
p.34-35 「高さもさることながら、浅草凌雲閣が画期的だったのは、エッフェル塔と同じく、「昇降器」なる昇降機械の設置が計画されていたことだった。(中略)一一月に完成した浅草十二階の昇降器は、電動式だった。」との記載あり
p.35-36 「エレベーターの誕生:電気力時代の幕開け」の項目あり
p.35 「浅草十二階の昇降器を動かしたのは東京電燈株式会社、現在の東京電力の七馬力電動モーターだった。」との記載あり
p.41-46 「エレペートル」の項目あり
p.41 「東京電燈株式会社五十年史によれば、広さは三畳ほどで、内部には大きな姿見があり、入口を除く三方には布団を敷いた腰掛が置かれ、さらには電燈もついていたという。が、この記述も開業の数ヶ月前の雑誌記事に基づくもので、はたしてこの通りのものが実際に作られたのか、確かではない」との記載あり
p.41-42 「複数の記事や図版の共通点から考えて、どうやら確かなのは、エレベーターは二台あったらしいこと、そしてそれは釣り天秤のように一方が上がれば一方が下がる仕組みであったことだ(以下略)」との記載あり
p.42-43に実体験に基づいてエレベーターの様子を細かく記した 「凌雲閣登閣記」について、図と共に記載あり
〇『浅草公園凌雲閣十二階』 佐藤健二/著 弘文堂 2016年
p.11-78 「第一章「塔の視覚と想像力」」の項目あり
p.18-27 「二 「エレベートル」を以て縦覧人を昇降し」の項目があるが、エレベーターの記載は、p24「(前略)エレベーターの不調で延期」の一文のみの記載あり
p.28-49 「三 昔見し凌雲閣の百美人」の項目あり
p.32-34 「エレベーターの操業停止」の項目あり
p.173-264 「第三章 「十二階凌雲閣」問わず語り」
p.246-261 「五 エレベーターと美人写真投票と自殺者」の項目あり
p.246-247 「開業後半年ほどした明治二四年の五月に、当初から故障ばかりだったエレベーターは危険だということで使用禁止なってしまう」との記載あり
p.265-p.407 「第四章 十二階凌雲閣の記憶と記録」の項目あり
p.267-p.268 「時事新報は、(中略)なおこの塔の「昇降器械」すなわちエレベーターについては、すでに石川島造船所に製作を注文してあって、「つるべ」のような原理で二つの「小客室」を上り下りさせるものであった。電力ではなく「蒸気仕掛け」によると書いているのは、実現した実際のかたちとは異なる」との記載あり
p.269 「(前略)郵便報知新聞も話題にしている。「エレベートル」の語が使われ、昇降器械が電気を利用していること、「縦覧人を昇降せしむる」ことの説明が共通している。」との記載あり
p269 「(前略)電気を利用してエレベートル(昇降器械)の仕掛けをもつて(中略)その建築設計者は帝国大学の教授博士バートル氏(英国人)にして、電気エレベートルは、東京電灯会社の藤岡市助氏が担当し、大体の建築は和泉幸次郎氏が引き受け(以下略)」(読売新聞、四月八日)との記載あり
p.274 「(前略)エレベーターの語はないが、「昇降客室」については、たたみでいえば三畳の広さの一五人から二〇人乗りで、鋼鉄のワイヤーロープで吊られ、「一分」で八階まで昇らせるという迅速さ。どうも内部には大きな鏡があったらしい。東京電灯会社の技師が設計し、石川島造船所での製作は完成して取り付けるばかりになっているという。高楼の多い諸外国にはあるものの、わが国ではこれが最初の設置である、と喧伝している。エレベーターは上りのみ使用して、下りは歩かせるとの計画だとすると、片方の客室をつねに空のままで二〇人近くの重さを動かすことになり、運転には負担がかかったであろう」との記載あり
p.281 「(前略)二十五日にエレベーターの「運転式」をおこなった。しかしエレベーターの工事は順調に進まず、二五日の夜になっても準備が整わなかったので、集まった来賓にはモーターの運転を見せただけであった。二八日の読売新聞によれば、警察が立ち会ってのエレベーター運転検査において、「非常に運転をなせし」ために器械をすえつけていた煉瓦にヒビが入り、その改良工事のために、さらに開業式は延期された、とある。」との記載が図と共にあり
※「時事時報」、「読売新聞」、「郵便報知新聞」、「東京市史稿」からの引用あり (巻末に索引あり)
〇『浅草』 山田太一/編 岩波書店 2000年
p.73-108 「Ⅲ 十二階からの眺望」の項目あり
p.74-81 「塔の思想(抄)」の項目あり
p.78 「(前略)このチラシがとりわけ力をこめてうたいあげているのは、たった一分間で遊覧客を八階まで運びあげるエレベーターの効用である。「殊に日本未曾有のエレベートルと称する安全の昇降室を備へ電気力に拠りて登覧の客を一室のまま其八階まで引上げ婦人小児と雖(いえど)も少しも驚き怖るゝことなく安全迅速にして雲中まで引上る愉快と奇観を極めたる妙機械あり」。このエレベーターは、警視庁から注意されて上昇の時間を四十秒から一分に調節しなければならなかったために、開場式の日取りが延期されたという曰くつきのしろものであった。(以下略)」との記載あり
〇『明治東京逸聞史 1』 森銑三/著 平凡社 1969年
p.178 「凌雲閣(一)」の項目あり
「(前略)閣の高さは二百二十尺で、すべて十二階あり、第一階より第八階まではイレベートルで昇降せしめる。」との記載あり。
p.181 「凌雲閣(二)」の項目あり
「凌雲閣の広告が出ていて「毎日午前九時よりエレベートル運転す」とした上に、「但し御婦人及び子供衆と雖(いえど)も、少しも驚くことなし。毎日曜日、大祭日は、閣上に於て美妙の音楽を吹奏す」とし、これにも「下足料なし」と断っている。」との記載あり
p.185 「凌雲閣(三)」の項目あり
「凌雲閣の開業を、団珍でも書いている。(中略)自分の足を使わぬのに、器械でスウと捲上げられる。(中略)おやおやと気が附くと、そこは十二層のてッ辺だった。」との記載あり
p.203 「凌雲閣」の項目があるが、エレベーターの記載なし
p.313 「凌雲閣」の項目あり
「(前略)始め八階までエレベートルで客を吊上げたが、危険だというお達しがあって廃止した。しかし、今また水力を以てするエレベートルの敷設を計画している。」との記載あり
〇『ニッポンの塔』 橋爪紳也/著 河出書房新社 2012年
p17-36 「物見の塔 浅草十二階ほか」の項目あり
p.19-28 「1-眺望する欲望」の項目あり
p.25-p.27 「浅草の十二階」の項目内、p.26チラシ「必ず凌雲閣に登れ」の写真あり。チラシ下段に、エレベーターの説明が掲載されている
p.29-36 「2-展望塔の発達と衰退」の項目あり
p.29-p.30 「日本初のエレベーター」の項目あり
p.30 「国内では明治二十三年(一八九〇)、わが国における「電力の父」と呼ばれる藤岡市助が設計、(中略)米国製の電気モーターを使用、二台のゴンドラをロープで吊って上下させ、十五人から二十人を一度に八階まで運び上げることができた。内部は三畳の広さで大きな姿見があり、入り口を除く三方に布団を敷いた腰掛けがあった。
当時のチラシ(二十六頁)には「日本未曾有のエレベートルと称する安全の昇降室」である「妙機械」であり、「当閣第一の奇観にて其妙は筆に盡(つく)しがたし」とある。しかし日本初という触れ込みの凌雲閣のエレベーターは開業初日から不調であった。開館前に行われた新聞記者たちを対象としたデモンストレーションでは、電気モーターを運転して見せて終わった。さらに故障が起こり、電線の修理を行った結果、十一月二十三日、ようやく運転が再開された。客集めの呼び物として採用したのはいいが、電動のエレベーターは技術的にかなり不安定な代物であった。落下防止装置が不完全で危険だという指摘を受け、開業の翌年の五月には早くも運転を取りやめている」との記載あり。
〇『江戸東京学事典』 小木新造/編 三省堂 2003年
p.204 「十二階(じゅうにかい)・富士山縦覧場(ふじさんじゅうらんじょう)・愛宕塔(あたごとう)」の項目あり
「凌雲閣は日本で最初のエレベーターをもち、一番上の一二階には三〇倍の望遠鏡がそなえつけてあった。エレベーターの使用は建設後まもなく警察にとめられるが、人々は一二階までのぼることを苦にせず、訪れる人はあとを絶たなかったという。」との記載あり
p.210-211 「エレベーター」の項目あり
「わが国でエレベーターが最初に設置されたのは、東京の高層建築のはしりとして明治二三年(一八九〇)一一月に開業した浅草公園の高塔凌雲閣(りょううんかく)で、当時は「エレベートル」の名でもてはやされた。(以下略)」との記載あり
〇『明治ニュース事典 4』 明治ニュース事典編纂委員会/編集製作 毎日コミュニケーションズ 1984年
p.804-805 「凌雲閣」の項目あり
以下、3つの記事から引用あり
「エレベーターも設置」(明治23年4月8日郵便報知)
「浅草の十二階開業、本邦初のエレベーター」(明治23年10月27日 官報)
「欠陥エレベーターで訴訟」(明治24年10月13日 郵便報知)
〇『図説明治事物起源事典』 湯本豪一 柏書房 1996年
p.146 「エレベーター」の項目あり
「(前略)日本における最初のエレベーターが設置されたのもこの凌雲閣である。明治二三(一八九〇)年一〇月に完成した赤煉瓦造りの、一階から八階までをエレベーターが運行した。二三年一〇月二七日の『時事新報』は凌雲閣のエレベーターを「下層初階より八階迄は電気モーターの運転に依りて昇降台(エレベートル)を一分時間に昇降せしむべく、此の昇降台は高さ八尺幅八尺に五尺五寸、十五人より二十人までの客を一時乗せ得べく、電気モーターは米国紐育より購入せしものにて十五万馬力を有せり」と解説している。(中略)警視庁で調査したところこのエレベーターは落下防止装置が不完全で危険なため、二十四年五月に撤去された。」との記載あり
p.146にエレベーターの図が掲載されている
p.416 「凌雲閣(一二階)」の項目あり
「(前略)また、八階まではエレベーターで行くことができた。このエレベーターは日本で最初のものであったが、危険という理由ですぐに廃止されている。」との記載あり
(2)インターネット調査及び資料の内容確認
埼玉県内図書館横断検索をしたところ、下記資料が該当しました
〇『東京電灯株式会社開業五十年史』 東京電灯株式会社/編輯 東京電灯 1936年(飯能市立図書館所蔵)
p.31-p.32「最初の電力供給」の項目あり
p.31 「卽ち淺草に新築された凌雲閣(十二階)のエレベーター運轉用として當社(旧字体)が七馬力電動機に電力を供給したのがその最初であつて(中略)然るに開化の魁として人氣を呼んだこのエレベーターも危険なりとの理由で、當局より幾何もなくして電氣運轉を差止められたのは甚だ遺(旧字体)憾とする所である。」との記載あり
「明治二十三年八月五日博雜新聞誌」に「最初の電力供給ー淺草凌雲閣 エレベーターは二臺で一臺の廣さは三疊敷室の内部の周圍に布團を敷いた腰掛を設け電灯を點け大きな姿見を掲げ乗客は一回に十五人以上二十人迄乘らしめた」と、「凌雲閣機繪双六」と共に記載あり
〇江戸東京博物館(2022年5月現在休館中)
(1)常設展五階「市民文化と娯楽」コーナーに、凌雲閣の1/10模型が展示されている
(2)ホームページ内レファレンス事例集
「浅草にあった凌雲閣(浅草十二階)という建物について教えてほしい。」
(https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/purpose/library/reference/alphabet/4955/%E6%B5%85%E8%8D%89%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%87%8C%E9%9B%B2%E9%96%A3%EF%BC%88%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%8D%81%E4%BA%8C%E9%9A%8E%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%BB%BA%E7%89%A9%E3%81%AB)
凌雲閣に関連する資料について記載されている
〇国立国会図書館レファレンス協同データベース
管理番号edo2000-03(東京都江戸東京博物館 図書室 (4110007)提供)
「浅草にあった凌雲閣(浅草十二階)という建物について教えてほしい。」
(上記の江戸東京博物館のレファレンス事例集と同じもの)
凌雲閣に関連する資料について記載されている
△国立国会図書館デジタルコレクション
『新撰東京実地案内』 薫志堂 1893年
p.64-65 「凌雲閣(れううんかく)高塔(かうとう)」の項目あり
エレベータ―の言葉はないが「(中略)其他(そのた)器械(きかい)を用ひて諸人を十階に引揚(ひきあげ)る」と記載あり
3.以下の資料には記載がありませんでした
(1)市内所蔵資料
×『なんでも「はじめて」大全』 スチュワート・ロス/著 東洋経済新報社 2020年
p.214-216 「材料と移動」の項目あり
p.214 「エレベーターに関しては、(中略)1880年にはドイツの技術者ベルナー・フォンシーメンスが電気式エレベーターを作り上げた」との記載あり
だが、日本のエレベーターについての記載は見当たらない
×『モノここに始まる』 ヨハン・ベックマン/著 小学館 2000年
(2)国立国会図書館デジタルコレクション
×『東京名所図会』 睦書房 1968年
凌雲閣の描かれた浅草公園図はあるが、エレベーターに関する記載は見当たらない
×『浅草案内誌』 佐伯徳海/著 金竜山海園院 1903年
凌雲閣の写真と説明はあるが、エレベーターに関する記載は見当たらない
×『新事業発見法 』 岩崎徂堂/著 大学館 1903年
p.71 「第十七章 凌雲閣の處分」の項目はあるが、エレベーターに関する記載は見当たらない
×『東京案内 下巻』 東京市市史編纂係編 裳華房 1907年
凌雲閣に触れられているが、エレベーターに関する記載は見当たらない
×『花籃集』 国府種徳(犀東)著 新声社 1902年
p.24 「凌雲閣の花見」の項目があるが、エレベーターに関する記載は見当たらない
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本語 (031 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 日本なんでもはじめ 泉欣七郎/共編 ナンバーワン 1985.3 031.4 4-931016-06-5
- 身近なモノ事始め事典 三浦基弘/著 東京堂出版 2010.9 031.4 978-4-490-10787-6
- 浅草十二階 細馬宏通/著 青土社 2001.6 210.6 4-7917-5893-5
- 浅草公園凌雲閣十二階 佐藤健二/著 弘文堂 2016.2 210.6 978-4-335-55174-1
- 浅草 山田太一/編 岩波書店 2000.1 291.361 4-00-602005-8
- 明治東京逸聞史 1 森銑三/著 平凡社 1969.3 213.6 4-582-80135-8
- ニッポンの塔 橋爪紳也/著 河出書房新社 2012.5 523.1 978-4-309-62443-3
- 江戸東京学事典 小木新造/編 三省堂 2003.3 291.36 4-385-15388-4
- 明治ニュース事典 4 明治ニュース事典編纂委員会/編集製作 毎日コミュニケーションズ 1984 210.6 4-89563-105-2
- 図説明治事物起源事典 湯本豪一/著 柏書房 1996.11 031.4 4-7601-1380-0
- 東京電灯株式会社開業五十年史 東京電灯株式会社/編輯 東京電灯 1936 540.67
- 江戸東京博物館 https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/ 2022.05.05
- 国立国会図書館レファレンス協同データベース管理番号edo2000-03(東京都江戸東京博物館 図書室 (4110007)提供)「浅草にあった凌雲閣(浅草十二階)という建物について教えてほしい。」 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000013729 2022.05.05
- キーワード
-
- エレベーター
- 浅草 凌雲閣
- 十二階
- 昇降機
- 東京電燈株式会社
- 東京電力
- エレベートル
- 蒸気仕掛け
- 石川島造船所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000317351