レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/05/20
- 登録日時
- 2020/07/02 00:30
- 更新日時
- 2020/07/07 10:06
- 管理番号
- 秋田-2470
- 質問
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解決
母方の先祖が秋田の出だった。家系図を見ていると、羽州大山城という城に仕えていたらしかった。大山城について教えてほしい。
- 回答
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大山城
別 名:尾浦城(おうらじょう)、又は大浦城(おおらじょう)
所在地:山形県鶴岡市大山字城山(現在は大山公園として整備されている。)
主な城主:大宝寺氏(武藤氏)、最上氏、上杉氏、酒井氏
尾浦城の城主大宝寺氏(武藤氏)は、鎌倉御家人として文治五年(一一八五)の奥羽州合戦に従軍し、鎌倉幕府より恩賞として、出羽国田川郡の荘園である大泉荘の地頭職を拝領した武藤資頼の弟氏平を祖とする名族であったと伝わる。大宝寺(後の鶴ヶ岡城)に居を構えたことから大宝寺氏とも名のるようになる。
『奥羽史研究叢書2 中世出羽の領主と城館』
(伊藤清郎・山口博之編、高志書院、2002、211/イチ/郷)資料番号:124285057
⇒p.124~126に尾浦城について記述あり。
「浜街道を見下ろす太平山の舌状台地に築かれた平山城であり、背後には加茂港を控える。標高五〇メートル、比高差三六メートルの方形の主郭には現在三吉神社が鎮座しており、西縁部には土塁を有している。北東方向に二段および通路を経た南東方向にも大規模な曲輪があり、さらに各々帯曲輪が巡らされている。主郭の西には大堀切を隔てて古峯神社が鎮座する副郭があり、北西部分には八幡台(または城番山)と呼ばれる高台がある。礎石などが出土しており西方尾根に対する備えとともに櫓台跡とも考えられる。
東麓および南麓には、「御堀」に囲まれた二の丸及び内川(陣屋川)を水堀とする三の丸により城下町が整備され、三の丸跡には御馬出道、殿街、御徒町、御足軽町などの地名が残る。
永正・天文年間(一六世紀第1四半期)には、砂越氏により本城の大宝寺城が攻められたため、天文・永禄年間(一五三二~一五六九)ころに居城をこの尾浦城に移した。しかし、天正十一年(一五八三)には城主武藤義氏が近臣前森蔵人に謀反により自害、白は炎上したと伝えられる。さらに同十五年には最上義光の攻撃により落城、その後上杉勢の手に渡るが、同十九年の検地に反対する一揆が起こったときには一揆勢に包囲されるなどしている。慶長五年(一六〇〇)の出羽合戦では最上軍の攻撃を受け城将が討死するなど、多くの戦跡を残し廃城となった。」
『世界大百科事典』(平凡社、2009、R031/ヘセ/18)資料番号:124417668
⇒大宝寺氏について記述あり。
[鶴岡城下]出羽国の城下町。江戸時代は<つるがおか>と読み、鶴ヶ岡とも書いた。旧名を大宝寺といい、≪義経記≫に大梵寺とあるのがその初見で、大泉荘の中心集落であった。鎌倉初期から大泉荘の地頭武藤氏が居城を置いた。戦国末期武藤氏は滅び、1588年(天正16)上杉景勝の領国となり、1601年(慶長6)最上義光(よしあき)に所属、1603年大宝寺城は鶴岡城と改称された。
『東北の名城を歩く 南東北編』
(飯村 均・室野秀文/編、吉川弘文館、2017.9、291.2/イト)資料番号:123746109
⇒p.280~287に該当の記述あり。
p.281に「慶長八年に大宝寺は鶴ヶ岡、東禅寺を亀ヶ崎、大浦は大山と改名される。」とあることから、大山城と呼ばれたのは1603年以降ではないかと考えられる。
『南出羽の城』
(保角 里志/著、高志書院、2006.6、210.2/ホミ)資料番号:122478092
⇒p.335~337に大浦城(尾浦城、大山城)研究について記述あり。
「大浦城(尾浦城・大山城)の研究としては、古くは『筆濃餘理』(安倍親任、1866)や『大山町史』(斎藤正一、1969)があり、近年では『尾浦城 山形県中世城館遺跡調査報告書第三集』(秋保良氏、1997)と『尾浦城 日本城郭大系第三巻』(小野忍氏、1981)が詳しく、」とある。
- 回答プロセス
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「羽州 大山城」をインターネットで検索。
⇒出羽・尾浦城、大浦城の別名であることと、所在地が現山形県鶴岡市大山字城山の大山公園であることが分かる。
「秋田 城館」を自館システムで検索。
『秋田県の中世城館』(秋田県文化財保護協会/編著、1992.12、A202/460)資料番号:124177494
⇒該当の記述なし。
「山形県 城館」を自館システムで検索。
・『奥羽史研究叢書2 中世出羽の領主と城館』
(伊藤清郎・山口博之編、高志書院、2002、211/イチ/郷)
資料番号:124285057
⇒p.124~126に尾浦城について記述あり。
・『世界大百科事典』(平凡社、2009、R031/ヘセ/18)
資料番号:124417668
⇒大宝寺氏について記述あり。
・『東北の名城を歩く 南東北編』
(飯村 均・室野秀文/編、吉川弘文館、2017.9、
291.2/イト)資料番号:123746109
⇒p.280~287に該当の記述あり。
・『南出羽の城』(保角 里志/著、高志書院、2006.6、
210.2/ホミ)資料番号:122478092
⇒p.335~337に大浦城(尾浦城、大山城)研究について
記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 総記 (0)
- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 中世出羽の領主と城館伊藤 清郎/編高志書院 (p.124~126)
- 世界大百科事典18平凡社 (項目[鶴岡城下])
- 東北の名城を歩く南東北編飯村 均/編吉川弘文館 (p.280~287)
- 南出羽の城保角 里志/著高志書院 (p.335~337)
- キーワード
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- 出羽国(デワノクニ)
- 鶴岡(ツルオカ)
- 大山城(オオヤマジョウ)
- 尾浦城(オウラジョウ)
- 大浦城(オオラジョウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 一般,郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000283826