レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/10/28
- 登録日時
- 2020/12/12 00:30
- 更新日時
- 2020/12/12 00:30
- 管理番号
- 6001046951
- 質問
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解決
「異国の丘」の作詞家、作曲家を知りたい。また同曲がシベリア抑留者の間でなぜ歌われるようになったのか、および本国でヒットした理由も併せて知りたい。
- 回答
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(1)「異国の丘」の作詞家、作曲家
以下の資料によると、作詞家は増田幸治、作曲家は吉田正。
・『日本流行歌史 中 1938~1959』(古茂田信男/ほか編 社会思想社 1995.1)
p.198、「詞 増田幸治」「曲 吉田正」「二十一年二月ウラジオストック郊外アルチョム収容所で「捕虜の歌える」という詩を戦中からあった「大興安嶺突破演習の歌」(副題「異国の丘」)という曲に増田幸治があてはめて書いたもの。原曲は吉田正」とある。
(2)「異国の丘」がシベリア抑留者の間で歌われるようになった経緯
同曲がシベリア抑留者の間で歌われるようになった経緯としては、以下の資料に記載があった。
・『戦争:新聞記者が語りつぐ 8 ああシベリア』(読売新聞大阪社会部/編 読売新聞社 1979.8)
p.266「アルチョムや浦塩などの地区地区に病院があって、病人が重症になれば、それぞれの地区の病院に入院することになってゐた。タウリチャンカからの入院の患者が軽傷になれば、徒然のまゝにこの歌を歌ひ、これを他の収容所から来てゐる人が覚え、帰所してまたこれを他の仲間に教えたのである。それに、この国の方針として、どんどん転属さして人員の組替へをよくやるので、この歌が一層広がったと思ふのである」
(3)「異国の丘」が当時の日本でヒットした理由
同曲が当時の日本でヒットした理由としては以下の資料に記載があった。
・『戦争:新聞記者が語りつぐ 8 ああシベリア』(読売新聞大阪社会部/編 読売新聞社 1979.8)
p.260に、「「異国の丘」の歌が、内地に流行したのは、シベリヤから帰った一復員者が、昨年(二十三年)の八月八日に、流行の「のど自慢」で鐘を三つ叩かれたからである」。
・『歌謡(ウタ)・いま・昔 (音楽選書)』(毎日新聞学芸部/著 音楽之友社 1985.7)
p.63に、「ラジオが繰り返し放送したこともあって、この歌は秋から大流行」。
[事例作成日:2020年10月28日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 声楽 (767 10版)
- 参考資料
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- 日本流行歌史 中 新版 古茂田/信男∥[ほか]編 社会思想社 1995.1 (p.198)
- 戦争 8 読売新聞大阪社会部∥編 読売新聞社 1979.8 (p.260,266)
- 歌謡(ウタ)・いま・昔 毎日新聞学芸部∥著 音楽之友社 1985.7 (p.63)
- キーワード
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- 歌謡曲(カヨウキョク)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000290590