レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/03/09
- 登録日時
- 2011/07/28 02:00
- 更新日時
- 2011/08/03 09:44
- 管理番号
- 千県中千葉-2011-0004
- 質問
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未解決
千葉県内の松原氏について知りたい
・慶長15(1610)年土井利勝氏が小見川から来て佐倉藩主となった際の家臣に松原氏がいたか。
・天正18(1590)年~慶長19(1614)年の岩富(いわとみ)城主(佐倉市岩富)北条家の家臣に松原氏がいたか。
・寛永17(1640)年に北条氏重氏が遠江国久能より下総国関宿藩(葛飾郡)に入封した際の家臣に松原氏がいたか。
・千葉県内に松原氏の発祥地があるか知りたい。
- 回答
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千葉県内の松原氏について調べましたが、土井氏、北条家、北条氏重(ほうじょううじしげ)氏の家臣としての松原氏は見つかりませんでした。
『印旛村史 近世編史料集1』(印旛村 1982)p289-367に「(慶応元年)佐倉藩堀田氏分限帳」があります。その中のp334に「六石弐人扶持」「席会所物書」として「松原千代吉」の名前があります。
- 回答プロセス
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・『資料の広場 No.18 千葉県十二郡誌人名索引3』(千葉県立中央図書館 1986)に松原氏は無し。
・土井利勝氏の家臣について
『三百藩家臣人名事典 3』(家臣人名事典編纂委員会編 新人物往来社 1988)の小見川藩及び佐倉藩の項に松原氏の記載無し。また、下総国、上総国、安房国の章についても通覧したが、松原氏は見つからなかった。
『佐倉市史 巻1』(佐倉市 1979)p263-265に「利勝の家臣団の屋敷」についての記載があるが、大野、寺田、鮭延の3氏についての記載のみ。
『新編物語藩史 第3巻 関東地方の諸藩』(渋谷浩[ほか] 新人物往来社 1976)の佐倉藩の部分にも記載はない。
インターネットで検索すると古河歴史博物館のホームページ内「歴史の散歩」に「土井利勝とその家臣団.土井利勝とそのゆかりの人々」展 (http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/rekihaku)あり。ホームページ上では家臣の名前までは確認できず。
『保受録 徒以下末々迄』(佐倉市 2003)索引に松原姓の記載なし。
・岩富城主(北条家)の家臣について
『佐倉史断想』(高橋健一著 1991)p1に「横地氏・荻野氏・木村氏・福島氏・安藤氏・堀内氏・神保氏・落合氏・鈴木氏などの名が、弥富城主北条氏勝の家臣として、現在知られるところではある。」とあり。また、p15に「天正十九年第1四半期のこの検地については、…中略…北条氏勝の領内検地であることは確実であり、内田村の検地帳には、横地・木因(木村印旛守)・荻越(荻野越中守)の検地役人名と、北条氏家家臣の給分明細が記載されている。ここにその名前をあげれば次のとおりである。」としてあげられている中に松原氏はなかった。
『弥富風土記』(印旛郡市文化財センター編 1987)p38「弥富村歴代助役」明治39年、p41「弥富村歴代議員 一級」大正2年に松原順一郎の名前あり。
・関宿藩北条氏重氏家臣について
『三百藩家臣人名事典 4』(家臣人名事典編纂委員会編 新人物往来社 1988)p99-122遠江国掛川藩に松原氏は無し。
『関宿志』『関宿町誌』には北条氏重氏の記述のみで、松原氏についての記載は無し。
『静岡県史 通史編3 近世1』(静岡県 1996)に北條氏重氏の家臣についての記載は見つからなかった。
<後に佐倉藩の分限帳が次の資料に所収されていることが分かった。>
『千葉県史料 近世篇-[7] 佐倉藩紀氏雑録』(千葉県 1984
)
p249-281「堀田加賀守正盛分限帳」
p347-383「正亮公御代分限帳」
しかし、この中に松原姓は見つからなかった。
(インターネットの最終アクセス:2011年6月23日)
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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- 『印旛村史 近世編史料集1』(印旛村 1982) (9200283122)
- キーワード
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- 家臣
- 岩富城
- 千葉県-佐倉市
- 千葉県-野田市(旧・関宿町)
- 松原氏
- 土井利勝
- 北条氏重
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000089291