レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 塩尻市立図書館 (2310060) | 管理番号 (Control number) | 塩尻317 | |||||||||||
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事例作成日 (Creation date) | 2015年12月05日 | 登録日時 (Registration date) | 2016年03月07日 19時37分 | 更新日時 (Last update) | 2016年03月17日 11時17分 | |||||||||
質問 (Question) | 「中仙道」を「中山道」と表記するようになったのはいつごろで、どのような経緯があったか。 | |||||||||||||
回答 (Answer) | 次の資料の記述より、1716年4月に公式には「中山道」と改められたと考えられる。 【資料1】『日本大百科全書 17』 …p429 「中山道」の項目 「江戸前期には中仙道と書いたが、1716年(享保1)中山道に改めた。」との記述あり。 また、参考文献として、『中山道信濃二十六宿』(長野県文化財保護協会/編 信濃毎日新聞社 1980)が紹介されている。 【資料2】『中山道信濃二十六宿』 …p10「1 信濃における中山道 (2)中山道以前の道」 「名称もはじめは中仙道であったが、東山道の中筋の道ということで、享保元年(1716年)に中山道と改められた。『五街道宿御取扱秘書』に「中山道只今迄仙之字書候得共、向後山之字可書之」とある。」との記述あり。 【資料3】『街道の日本史17 中山道』 …p9 「中山道は(略)はじめ中仙道とよんだが、正徳六(1716年)に、幕府は「東山道の内の中筋の道に候故に、古来より中山道と申事に候」(『御触書寛保集成』)と令して、公的には中山道と改めた。しかし、現実には中仙道も併用された。」との記述あり。 【資料4】『江戸時代図誌10 中山道 一』 …p139「中山道の宿駅」児玉幸多 「中山道は中仙道とも書いたが、幕府では正徳六年すなわち享保元年(1716)四月に、「只今までは仙の字書き候得ども、向後山の字書き申すべき事」と、老中から道中奉行に命じた。その理由として、五畿七道のうち東山道・山陰道・山陽道と、山の字をセンとよんでいる。東山道の内の中筋の道であるから、古来より中山道というのである、といっている(「御触書寛保集成」)。当時は新井白石が幕政に関与していた時代で、群名なども考証をして改めたものがあるので、これも白石の意見に基づいたものであろう。(略)それから後は、幕府の公式のものでは五街道の名称はきまったが、一般民間では中仙道と書くこともあり、甲州海道とも書いている。」との記述がある。 【資料5】『日本近世史年表』 …p167 1716(享保元) 「閏(略)4.15 幕府、諸街道の呼称を定める(実記)。」との記述あり。 ※凡例より、実記=徳川実記 【資料6】『江戸時代265年 ニュース事典』 …p246 1716 享保元年(正徳六年) 「【この年の出来事】(略)4.15 幕府、東海道・中山道・奥州道中など五街道・五畿七道の呼称を決定。」との記述あり。 【資料7】『長野県史 通史編 第四巻 近世一』 …「第二章 江戸幕府の信濃支配 第五節 中山道と諸往還の成立」 p219 「中山道は、はじめ「中仙道」と表記されていたが、幕府は正徳六年(1716、享保元年)に、「ただいままで仙の字書き候えども、向後山の字これを書くべし」として(『五街道宿御取扱秘書』)、「中山道」と書くようにあらためた」との記述あり。 「徳川実記」については、当館蔵書よりキーワード検索したところ、次の資料に記載があった。 【資料8】『国史大系 第44巻 徳川実記』 …享保元年四月 p463 「東山山陰山陽三道山路悉令訓セン」 「十五日朝會例のごとし。(略)けふ令せられしは。五畿七道の内。東山。山陰。山陽三道をばせんと唱ふべし。東山道の中筋道故に。古より中山道と唱へ來れり。(略)」との記述あり。 「五街道宿御取扱秘書」については、『古事類苑 総目録 索引』よりひいたところ、次の資料に記載があった。 【資料9】『古事類苑 地部三』 p59「〔五街道宿御取扱筋秘書〕五海道文字之事」 …「(略)一 中山道 只今迄仙之字書候得共、向後山之字可書之、(略)右之通、向後可相心得旨、申(○正徳六年)四月十四日、河内守殿(○老中井上)、松平石見守、伊勢伊勢守(○二人道中奉行)被仰渡候」との記述あり。 | |||||||||||||
回答プロセス (Answering process) | まずはじめに百科事典類より記述を探したところ、【資料1】に「中山道」に改められた年が書かれており、【資料2】が参考文献として紹介されていた。 【資料2】のほか、中山道に関する資料を確認したところいくつかに記述が見つかった。(【資料3~4】) また、江戸時代に関する資料、長野県の歴史に関する資料にも記述が見つかった。(【資料5~7】) これらより、1716年に幕府により呼称が改められたことが分かり、当時の記録が分かる「五街道宿御取扱秘書」、「徳川実記」を探したところ、それぞれ【資料8】、【資料9】に記載があった。 「御触書寛保集成」については当館に所蔵がなく、他館所蔵のものを取り寄せて確認した。 (『御触書寛保集成』高柳 真三/編 岩波書店、1958) | |||||||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||||||
NDC |
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参考資料 (Reference materials) |
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キーワード (Keywords) |
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照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | |||||||||
登録番号 (Registration number) | 1000188994 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |