レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年05月08日
- 登録日時
- 2016/06/19 11:14
- 更新日時
- 2016/06/19 11:14
- 管理番号
- 相-160003
- 質問
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解決
東海道大磯宿の小島本陣の宿帳を読んだところ、ここに記載されている宿泊者は具体的には誰だろうと思った。宿帳には同じ官職名を持つ者が複数出てくるため、ついては、①大磯宿小島本陣宿泊者を官職名から引き、名前や出身地、事績などが分かる事典の有無、②これらの人が何を目的に東海道を往来したのか、知りたい。
- 回答
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①について
官職名から引き、名前や出身地、事績などが分かる事典を紹介した。
『江戸時代全大名家事典』工藤寛正編 東京堂出版 2008年
こちらの事典には、大名家(藩主)434家について、家名の五十音順に収録されている。生年月日・父・生母・正室・藩主相続年月日・没年月日・享年が記載されている。ただし、索引はない。
また、下記資料に、参考になりそうな記述があったので、紹介した。
『近世武家官位の研究』橋本政宣編 続群書類従完成会 1999
○p.1~56 「総論 近世の武家官位」において、近世大名の類別について、記述されている。
・p.12には、「表1 宝永六年三月七日 諸大夫成人名一覧(『江戸幕府日記』同日条に拠る)」というものがあり、氏名、通称、名乗、生年、初御目見年次、大名就任年次、事由、石高、大名就任よりの年数が記載されている。これは、宝永6年3月7日に27名の大名が一斉に叙爵したことを受けての表のようである。
・p.38には、寛文八年の「表2 寛文八年正月二日 少将侍従面々年始御礼次第」があり、10名の名乗、官位、人名等が掲載されている。
・p.39には、延宝五年の「表3 延宝五年八月一日 中将少将侍従面々八朔御礼次第」があり、12名の名乗、官位、人名等が掲載されている。
○p.239~274 「加賀藩年寄の叙爵をめぐって」においては、
・p.257 「表4 加賀藩重臣の叙爵一覧(元禄4年以前)」があり、氏名の後に、名乗が掲載されている。
・p.259~264には、「表5 加賀藩年寄の叙爵一覧(元禄4年以降)」が掲載されている。
○p.395~483 「近世中期武家官位叙任の実態-外記平田家文書を素材に-」おいては、p.405~483に「武家之官位」 貞享4年(1687)~享保20年(1735)までの49年間の記録を一覧表化したものが掲載されている。官名についても記載がある。
②について
参考になりそうな当館所蔵資料等を紹介した。
・「近世宿駅における大名と本陣―東海道大磯宿 小島本陣を中心として―」堀田トヨ著 『法政史学』第26号 p64-78
「田中丘隅が『民間省要』に(略)と参勤交代等、大小名の往来が宿にとり喜ばしいものであったことを述べている。しかもその時節には、日々数万の人馬が宿につどい通ったという。(後略)」(p77)と記載があった。
当館未所蔵資料であったが、「法政大学学術機関リポジトリ」にてインターネット上で閲覧できる。(http://repo.lib.hosei.ac.jp/handle/10114/10224)
・『むかしの宿むかしの旅 大磯・小嶋本陣を中心に』小丸俊雄著 講談社出版 1974
「第二章 大磯宿に於ける小嶋本陣」の「大名の休泊」(p76-110)
「参勤交代で東海道を通って出府する(後略)」(p76)と記載があった。
同章の「小嶋本陣の休泊帳から」(p150-209)
「殿様のご入湯」(p173-182)、「松平定信の初政」(p182-185)に、大名の休泊について具体的な記述がみられた。
・『旅の民俗と歴史2 大名の旅 本陣を訪ねて』宮本常一編著 八坂書房 1987
「一 本陣の歴史」の「2 本陣」の「本陣」(p28-35)
「本陣をもっとも多く利用したのは参覲交代の大名であり、大名が利用する道すじは決められていたので、それを見ると本陣を利用する人々が往来した街道の大体がわかる。 東海道旅行の大名 一四六(後略)」(p30-31)と記載があった。
同章の「3 本陣のとまり客」の「参勤交代の旅」(p56-60)
「本陣を利用する旅のなかでもっとも規模も大きく、通常的に行なわれたものは諸国の大名が参覲交代ために行なう旅であった。(後略)」(p56)と記載があった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288)
- 法制史 (322)
- 交通史.事情 (682)
- 参考資料
- キーワード
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- 大名
- 東海道
- 参勤交代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000193598