レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年4月23日
- 登録日時
- 2021/05/20 14:44
- 更新日時
- 2021/05/26 12:10
- 管理番号
- 県立長野-21-022
- 質問
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解決
寺尾太郎左衛門と上杉景勝家臣「寺尾伝左衛門」は親子か。
- 回答
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・『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20』角川書店 1996【N288/158】
p.560「寺尾太郎左衛門」の項目に、「武田氏滅亡その子伝左衛門維綱は上杉氏に仕え、寺尾に在城。」とあり。
・『松代町史 上巻』大平 喜間多編 臨川書店 1926(長野県郷土誌叢刊 復刻版1986刊行)【N212/236/1】
p.146に、「(前略)天文永禄の頃寺尾太郎左衛門武田氏に降って二十騎の将となり、其子伝左衛門維綱上杉景勝に仕へ(後略)」とあり。
・『更級郡埴科郡人名辞書』信濃教育会更科部会編 象山社 1978【N280.3/2-1】
p.309「寺尾太郎左衛門」の項目に「天文二十二年八月村上義清、葛尾城を捨つるや、村上氏に従つて越後へ走つたが、後武田晴信に降り、二十騎の将となる。子伝左衛門 維綱上杉景勝に仕ふ。(松代町史)」とあり。
武田氏滅亡時の寺尾氏や寺尾城の城主について触れている資料は確認できなかった。
- 回答プロセス
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1. 郷土図書の人物事典で「寺尾太郎左衛門」、「寺尾伝左衛門」の項目を探す
『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20 長野県』
p.560「寺尾太郎左衛門」の項目に、「武田氏滅亡その子伝左衛門維綱は上杉氏に仕え、寺尾に在城。」とあり。
『更級郡埴科郡人名辞書』
p.309「寺尾太郎左衛門」の項目に「天文二十二年八月村上義清、葛尾城を捨つるや、村上氏に従つて越後へ走つたが、後武田晴信に降り、二十騎の将となる。子伝左衛門」維綱上杉景勝に仕ふ。(松代町史)」とあり。
2.寺尾城のあった地域の郷土資料を参照する
『松代町史』
p.146に、「(前略)天文永禄の頃寺尾太郎左衛門武田氏に降って二十騎の将となり、其子伝左衛門維綱上杉景勝に仕へ(後略)」とあり。
<その他調査資料>
・『長野県史 通史編 第2巻』長野県編 長野県史刊行会 1986【N209/11-4/2】
・『長野県史 通史編 第3巻』長野県編 長野県史刊行会 1987【N209/11-4/3】
・『長野市誌 第9巻』長野市誌編さん委員会編集 長野市 2001【N212/318/9】
・『信濃古武士』丸山 楽雲著 2009【N288/236】
・『武田氏家臣団の系譜 (中世史研究叢書)』服部治則著 岩田書院 2007【N210.47/ハハ】
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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竹内理三 [ほか]編纂. 角川日本姓氏歴史人物大辞典 20. 角川書店, 1996.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002541302-00 , ISBN 4040022009 -
大平 喜間多/編 , 大平 喜間多 , 大平 喜間多. 松代町史 上巻 復刻版. 臨川書店, 1986-00. (長野県郷土誌叢刊)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059104682-00 -
信濃教育会更級郡教育部会 編 ; 信濃教育会埴科郡教育部会 編 , 信濃教育会更級郡教育部会 , 信濃教育会埴科郡教育部会. 更級郡埴科郡人名辞書. 信濃教育会更科郡教育部会, 1939.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077935898-00
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竹内理三 [ほか]編纂. 角川日本姓氏歴史人物大辞典 20. 角川書店, 1996.
- キーワード
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- 寺尾
- 寺尾城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000298511